人生は不公平だとは思わない

不公平の証明に意味はない

これは考えようによって大変難しい問題です。
人生は不公平だという証明をしたい人はいくらでもエビデンスを持ってくるでしょう。
お金持ちは勝者として、いろいろな自慢があり、幸運を証明できます。
そして不幸な人は、たとえば「天災や事故にあったり、不運で倒産や失業にみまわれ、病気や貧乏になった。もともと家も貧乏、身体も病弱。
二世や三世の世襲で大金持ちや権力者に努力せずなれる幸運など、世の中を見渡してもあまりないではないか」
世の中ってそういうものです。人生は見方によれば不公平です。しかし公平、公正に見ている神の視点はあります。
そもそも「社長」「政治家」「大金持ち」そんなに愚痴っぽい人はなれません。
努力しないで、身分、ヒエラルキーの上位になれる国は世界中見渡してもありません。

燃えるほど誠実な努力は報われる

今の世の中、前向きにひた向きに誠実に努力を重ね、燃えるような情熱で取り組むことが、カッコ悪いように思われています。
そこが勘違いです。たとえば同級生や会社の同期、同僚などは、若い頃の欠点や失敗も目にしているし、自分のがその時能力が上だった時もあるでしょう。だからこそ抜き去られた時の嘆き焦りは大きくなります。不公平と思ってしまいます。
幸運を手にした者はどこかで努力したのです。それは勉強かもしれないし、得意先や上司に気に入られる人間関係力なのか、本来持っていた能力が優れていて努力と時代や環境で開花したのか。いずれにせよ。分析してあやかりたいと研究するとこまではいいですが、やっかんでいるだけではますます本人は成長しません。
戦後から一貫して、名だたる大企業の中興の祖は、先見の明で、法律の網を潜り、人の気につけこみ、傍からみればずる賢いようなことをしたり、それがギリギリ時代も許したともいえます。時代は変わっても一緒です。ITバブルでも先見で大金持ちになった人、後をなぞろうとして不運を嘆く人。
年取るとね、ますます意固地になって愚痴っぽくなるともう老害です。それでもちゃんと,努力したらいいことがあったよと教えられる老人が増えんとね。
世間の悪口や不公平の愚痴ばかりの人が増えると、世の中暗くなるんです。せめて謙虚に生きてください。役所が努力しなかった人に多額の支援回したら、誰も努力しません。みんなを救えるわけないんです。努力しなかったら質素に愚痴らず生きる方が倖せ。まわりもシアワセ。だれも他人の不運の自慢や、不公平の証明を聞きたくないのです。

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