敬老の日に思うこと

敬老の日。日本は有数の高齢化社会になっていく。30年前父の還暦を迎えた時、まだ若いし働くとはいえ、見かけはおじいさんだと思った。しかし今や60歳では本当に老人でもないし、余程貯めこんでいないとまだまだ働かないといけない。
30年前と違ってきているのは、寿命もなのだが、第一次産業も衰退したが、自営業も著しく衰退した。働きたくても、お金がなく年金も少なくても、少なくとも慣れた仕事では働けないのだ。
これは厳しい現実。介護、清掃や警備、配達、ビル管理などは求人はあります。夜勤や肉体労働が今さらできない人に働く道は狭く厳しいのが現実。(職業に貴賤はないですが)
それまでサラリーマンや自営で商売をやってきた人が、いざハローワークに行くとなかなか今までの経験を活かした仕事などありません。
敬老の日はいらないので、年金にプラスして賃金を得られる老人にできる簡単な仕事がないものかと思います。
セカンドキャリア以降の就職市場の活性化もですし、政府主導の60歳以上の高年齢就業をもっとマスコミなども取り上げて欲しいです。言葉は難しいですが、女性の管理職登用や産休や育休、障害者の就労等と同じか、それ以上に数値も中身も改善していかないと、この問題は解決しません。
あと、大きい問題は生きがい。継承。貧困に堕ちる人は、孤独死するような環境である。お金持ちでも経験やナレッジを引き継ぐこともなく施設に押し込んでしまう。これでは食べて行けてサービスはあっても「敬老」ではない。
年金2000万問題も根は同じなのです。働きたい人に、資格を取るのに支援する。といって資格があってどの程度働けるのかというと、本当に厳しいのが高齢者の現実です。
もちろん新しいスキルの取得、投資や運用、新規ビジネスの立ち上げ、高齢者もやるべき裾野を広げ、同じ世代を迎えてあげましょう。

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