地位も肩書きもやがて無くなる【一無位の真人】

仕事を中心に考えていますと、どうしても肩書きや地位を中心にして人を見ます。自分のことも肩書きで考えて、他人もそう見てくれると思います。
家庭や、学校の父兄や、地域の自治会などに入ると、仕事での、地位や職業や肩書きはどうでも良いことです。まずは参加をして、役割をはたすことです。学校や家庭、地域の約束が守れない人は、会社で社長やっていようが、関係ありません。孫にとっておじいちゃんが裁判官だろうが役員だろうが関係ありません。
【一無位真人】は禅の言葉です。
無位とは、一切立場や名誉、位、肩書き、役職に捉われないこと。
真人とは、自分の真実の姿。本当の自分のこと。
情報があふれる時代だからこそ、他者と自分を比較して、他社の待遇と自分を比べたり、近所や友達と自分を比べます。
そして、いらんとこで悩み、悲しみ、傷つき、怒り、妬み、凹みます。
そうやっているのは、表面上の問題に躍らされてです。自分の真実はそれらを超越しているのです。ぶれない自分を見つけること。心にゆとりはそこから生まれます。仏の境地とも言われますが、そこまで悟らなくても自分の真実って分かります。課長だろうと、平社員だろうと、役員だろうと自分って本当は変わりませんよね。定年して、同窓会で集まればみんな、〇〇さんです。
会社を辞めても豊かな心でいれるか、よりどころがなくなるか。しっかり【一無位真人】が分かるかです。

エアコン/換気扇/お風呂クリーニングのプロを一括検索!!【生活手帖】

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください