格差は広がったのか、昔ほどではないのか

【格差】はあくまで感覚的なものである。統計の取り方も何とでも恣意的にできます。
私も戦中戦後すぐの時期のドラマや小説で、その時代の風俗や教育、食事、住居などを見ると今はそれほど差はないと思う。
ところが非課税世帯の年金生活者や生活保護の方の訴えをお聞きすると、高度成長の日本を支えたのに、老人や弱者への今の扱いは酷い嘆かれる。それにも頷かざるをえない。
日本は格差社会だと言われています。
いつの時代と比較してそうなのか、国際的にみてそうなのでしょうか。
豊かさなどでいえば、未だに豊かで安全な国です。
身分、ヒエラルキー、カーストといった固定的な制度があるわけではない。
格差は日本の歴史上は、貴族や武士など今より厳然とあった時代もあります。戦中戦後など多くが厳しかった時代も恵まれた人はいたし、最底辺で、なかなか貧困から立ち直れず差別に苦しんだ人もいました。
たぶん現代の日本の格差は高度経済成長期から、20年前バブルくらいまでと比べてのこととなるのだと思います。
トマ・ピケティの著作で一気に広がりました。
ここで指標や統計を上げても書ききれません。
日本の高度経済成長期にはまだまあ家族の一体感や、近所の助け合いもあり、日本が豊かになるとともに行政にもゆとりがありました。貧しい人はいましたが、犯罪者でもないかぎり救済はできました。
高齢者も家族で支え看取るのが当たり前。老人ホームには姥捨て山の後ろめたさがありました。
高度成長期は、少し頑張ればほぼ報われる時代ではあったと思います。
朝から晩まで、商売に励んだり労働に励み、売上や賃金をコツコツ稼げば、ちゃんと食べていけて、家族も養える。
とりあえず大学にはいればそこそこの会社に入れ、終身ほぼ安泰の時代がありました。
バブル期から格差の芽はでていました。核家族化が進みだし、少子高齢、子育て問題の構造は生まれました。
統計的に核家族化すると、貧困の家族の絶対数も割合も増えます。新自由主義の経済が、富める者は富み、貧しい者は置いていかれる時代になり、非正規労働の問題も顕著になります。
教育の機会や就職の機会がない訳ではなく、チャンスを掴めば大きな成功が転がり込む時代なのですが、貧困の絶対的割合は増えています。
成功したものが、初めから階層上位とはいえない、下層からも下剋上のように成功しています。
むしろ高度成長期のように、ガムシャラに努力しなくなったり、規制や慣習に縛られ出したのが問題かもしれません。
パワハラの小うるさい上司もいず、サービス残業なし、土日休みでのほほんと高給の労働者だけでは、企業も日本経済も、高度成長の国に勝てません。
働き方改革が悪いともいいませんが、時間の中でしっかり勝負するには、実力と準備、強い意志が必要です。
努力すれば、やはりいつの時代でも報われる可能性は広がります。可能性の割合もそう大きく時代による差はありません。これは間違いないと思います。

【Comet】

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