思い出から1:大阪府堺市上野芝他

住んだところ:社会人として歩み出した大阪

社会人になってからの、人生を振り返りながら、住んだ場所や恋や仕事の経験が何かの参考にでもなればと語ります。天使が降りてきたのかどうかは良く分からず反面教師的なところも多いです。
【1982年~85年】大学を卒業して初めて京都の親許を離れ、大阪府堺市上野芝の寮に入りました。
自宅から無理すれば通えない距離ではないですが、当時大卒新入社員は寮に入る規則でした。もともと紡績工場の女子寮の舎監を務める慣習がある会社でした。すでに主流は繊維から化粧品に移りだしたカネボウという会社でした。
堺市上野芝は百舌鳥の大仙古墳(当時仁徳天皇陵)最寄駅ですが、毎日通過するだけで3年のうちよることもなく、大阪南エリアとはいえミナミの繁華街に行くこともなく、平日は会社と寮の往復、休みの日は京都の実家に戻ってました。
学生時代からの淡い恋のような後輩との友達関係をひきずりなががら、2年目くらいに社内の同年代のKという女性と恋に落ち、八尾にある彼女の家に何度か泊まりました。長崎から美容部員として就職した人で、文化住宅で二人で銭湯に通いました。

冬の銭湯帰りの寒さと温もり。携帯もないのでどちらが先にでても相手がいつ出るか分からない。
スマホもネットもない、デートも公衆電話からの連絡。駅の伝言板。
大学時代の女性友達Aさんも一度寮近くの駅まで勤め帰りに来てくれました。鈍感な私はどんな思いで来てくれたか聞くこともなく、高槻の家まで送りました。
知的な彼女とは今一歩踏み込めず、それでも付き合ってるKさんとは何となくこのまま結婚するのは早いような気がして、気持ちが離れていきました。別にAさんと進んだわけでもなく、逃げるような別れでした。
3年の大阪勤務を終え、転勤するとき、すでに別れていて気まずかったので彼女の方からわざわざしっかり慇懃に挨拶をしてくれました。本当に悪いことをしたような気で情けなくなりました。別にモテた訳ではないのですが、罰が当たったようにしばらくお一人様の彼女いない時代が続きます。25歳くらいの話。35年前。
電話を取り次いでもらう時代、今の若い人より最低限のコミニュケーション力はあったのかな。万博公園はAさんと出かけたことがあったようなおぼろげな記憶。

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