思い出から2:広島県呉市

カネボウ化粧品に入って3年目のローテーション。大阪南からの初めての転勤辞令は何と、広島の呉営業所。
【1985年~88年】
何せ関西にも近畿2府4県大阪に東西南北中央など数多くある中、中四国とは異例の飛ばされよう。山陽新幹線で2時間強そして呉線に乗り替え、のどかな海と山。戦艦大和を造った造船と海軍の街だ。海と山が近い箱庭のような小さな市街地。広や音戸江田島、竹原、熊野町までがエリアでした。
見るもの聞くもの、言葉も含めてエイリアンだったのでしょう。
美人の新入美容部員Yさんに一方的に恋しましたが、まったくのふられっぱなし。ほのかに思いを寄せてくれた広島への異動の引っ越しを手伝ってくれた大卒の優等生美容教育要員Hさんは、利用しただけみたいな悪い癖でした。クルマで送って行ったけどYさんへの気持ちなどが分かって私では不足と嘆かれてたとの話。
賢くていい奥さんになってくれたような気がする。
もう少し敏感で器用ならね。

京都への帰省もよくしていたが、大学の友達だったIさんAさんにも時々あっていたが、深くは進まずⅠさんは結婚。
Yさんへの思いはまったく通じずでした。仕事もスタンドプレイはあっても、大阪のメッキがはがれ、呉と広島3年間はなかず飛ばずの成長のない期間でした。
今の『この世界の片隅で』や大和ミュージアムなどの観光も少なく、造船不況で街が沈み勝ち、江田島の記念館や音戸大橋くらいが観光かな。大学時代の友人が広島にいて山登りしたり、訪ねにも来てくれた。
安浦町という小さな街の、部下のお葬式に行ったが本当に小さな家。坂のある寂しい街並みで、寂しいお葬式だった。
江田島、音戸島、能美島には橋で行けた。まあ田舎の口うるさい人らに、無理を強いたりもしたし、見つかって怒られることもあった。
煮え切らない若者時代。早く結婚していれば落ち着いたのかとも思うが、まだそういう時期でもない20代中ごろ。何より選り好みとすれ違い。

大阪時代に童貞ではなくなっていたが、まだまだ恋も仕事も人生経験足りない時代でした。今年金だとか保険だとか書く立場ですが、将来のことが20代だと想像もつかないことは良く分かります。反面教師だと思ってください。

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