思い出から4:滋賀県彦根市

滋賀県彦根に転勤【1987年~1990年】
時代は昭和から平成へと変わっていくのでした。
昭和天皇が御病気から崩御されることとなり、担当していたスーパーは照明も落ち商売どころではない時もありました。
1989年には消費税も導入されました。後に親会社となる花王がソフィーナを売り出したのもこの時期。
住んでいたのは滋賀県北部。当時カネボウは長浜と彦根に繊維の工場があったため当時の滋賀北部はシェアやステータスが高いエリアで、京都に近い大津よりも中心の事務所をおいていました。
今でこそひこにゃんなど観光開発が進んでいますが、当時はかなり田舎なのと、古い工場の社宅で、後輩と二人住まい。水洗でない便所、湯沸かしシャワーもない、木造の平屋で、風通しが良いので冬は雪も多く寒かったです。

彦根城の近く今はショッピングセンターになっているところ。自然も豊かで風光明媚でしたが、冬は凍ってつるつる。雪で目が見えない時もありました。
美容部員さんの多い流通担当である意味モテキだったのですが、えり好みでもないですがキレイ過ぎる人にはちょっと気後れしました。
ある女性ともかなりいいとこ行きましたが今一つ踏み込めなって30代になりました。仕事は新店など面白い時もあったものの出て行く前は粉飾まがいの不正発覚で生涯に刻むミソをつけました。
もうそろそろ結婚してもと思いながら、つかみきれない。大学時代の女性たちはさすがに結婚。なぜか独身で残った男とディズニーランドなどへ行く程度の遊び。
もう一度20年くらい経て滋賀に戻り、定年で送別会をしてくれるとは思いもよらずでしたが、カラオケなどもよくやり遊んだ思い出も多かったのでしょう。
目ジカラの強いEさん、色白でキレイだったNさん、HさんMさんらそれぞれあったのですが当時の30は今より決して若くない。なんだか結婚できるのか不安になってくるような時期です。30と言えば当時の子供では本当に中年でした。定年が55歳でしたから確実に5歳以上は老人に近かった。
でも今から思えば限りない可能性があったのです。頑張らないともったいない時代でした。世はバブルの近づいていくのですが。

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