思い出から5:愛知県名古屋市

【1990年~1993年】名古屋で係長という役職ながら、営業第一線は変わらず。滋賀でのトラブルもひきずり、地下街などの大型店も持ち苦労した。後に関西支社長から販社社長になる中嶋さんとも、裏番のような存在で相性の悪そうな出会いでした。仙台で再会する大塚さん、同期で後に同じ企業を担当する増本等後からも因縁の何人かとも出会いました。
ひつまぶしは好きでしたが、味噌煮込みうどん、味噌カツ。名古屋弁もどうもフィット感はなかったなあ。
そして、取引先からも見合いのような紹介を2件。一人は相当熱上げられましたがこちらはお付き合い程度でした。断るのに苦労しました。ワンルームまで風邪の時訪ねてきましたが、相手も必死ですがこっちも部屋には入れず。も一人は知的で好きなところもあって琵琶湖までデートしましたが、何か連絡先が見つからず立ち消え。どうも縁がない。
仕事はきつかった。追い抜かれ後輩に差をつけられる時代になりました。

滋賀にいたおとなしい内勤のMさんと、あるきっかけで再会。何度かデートまがいにコンサートや京都も行きましたが少し年の差なのか感覚なのか、振られました。
そしてもう一人、今でいう熟女悪女タイプのバツイチのキレイな教育の先生。片思いでした。ずっと妄想的に思い続けましたが、後日自分を一時追い抜き課長になろうかという後輩と不倫していて、彼女は自殺。相手の男後輩は解雇とドラマのような話でした。
彼女への妄想を抱きつつ、いくつか仕事のピンチもなんとか逃れながら、それでも借金まみれになりながらの3年2ケ月。このころ余裕もなくその地方を楽しむこともあまりなかった。ナゴヤ球場に近鉄がくると応援にいったり、高蔵寺の方とかは行きましたが、東北あたりで行きつぶした後年と比べると名古屋は、西区の寮とその後も中村区のワンルームの周り、今でも大阪とごっちゃになります。地下鉄の駅から少し歩く便利か不便か微妙なところ。もう以降ワンルームか結婚で借り上げ社宅でした。

大阪、滋賀に比べると再登板はなく、何度か再訪はしているのがが、なぜか広島に比べても土地的にはそんなに深い思い入れがないのか記憶が薄い。人間関係、取引先のことはよく夢に出てくる。バブルでどんどん出世した人稼いだ人に比べ、恋はしたのだが結ばれず、親も心配の頃でした。

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