思い出から7:京都府長岡京市

京都の職場は京都市内だったが、新婚の社宅に適当な物件がなく長岡京、阪急長岡天神駅近くから通うことになりました。【1995年~1996年】
ほどなく第一子の女の子が生まれ父親となりました。
長岡京とは大層ですが、京都の近郊通勤圏の衛星都市というか小さな街です。
いかにも私鉄沿線の小都市という感じと、長岡天満宮などはありますが、観光や文化、大きな買い物は京都市に行きます。
あまり土地に沢山思い出はないのですが初詣やお宮参りに行き、今もたまに通ります。
福知山が新築の2階建ての集合住宅だったのに対し、吹き抜けの広い、地下駐車場もある大きなマンション。しかし日当たりは微妙な西向きの1階。
しかもどうもこの時期の仕事、入り方も実家の仕事からみで制限があり急きょ課が異動などもあり、1年たらずで地元はアカンことになり転出されました。もっと部下を大切にしていればということですが、子供ができるとそっちに気持ちが生きました。

育児休暇などない時代。モーレツな販売部長が取引先に気を遣いながら深夜までゲキを飛ばしてました。後にこの部長は女性関係と多額の金銭流用で免職され、他の会社に移られたが自殺されたと聞きました。
ただこういう時期、家庭と仕事はバランスよく勤めないといけなかったとも思い返します。仕事での地位や収入を担保しておいてこその、家庭や子育てであり、自分はまだまだ未熟だったと思います。
化粧品の再販制度がなくなり、大手制度品メーカーの定価販売は崩れます。まだローカルのドラッグストアだけでしたが、チェーン出店が進みシェアは伸び始めた時代。それでもまだ専門店の商店街で活気のある時代でした。
この時期後で仕事を一緒にする仲間とプロローグのように出会っております。

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