思い出から9:秋田県秋田市

【1998年~2000年】二人目の男の子がまだ生まれて4ヵ月くらいでしたが転。しかも温暖な静岡から東北の日本海側秋田へ。定年前に関西から秋田へ行かされる若手がいましたが、まあ当時も誰が見ても厳しい異動でした。しかし生活としては雪は多くとも風土や気候も文化、風俗も楽しんではいました。静岡も東西に長いのですが分轄して複数の事務所を持っていました。広島や滋賀でさえそうでしたから秋田は面積の割りに移動が大変でした。北部の大館等は3時間かかり泊が必要でした。
秋田美人とはいいますが、仕事面では言葉が分からない程の秋田弁。そして社内の人間、同僚S、上司W、先輩I、トップのKら、他人をディスるのは当ブログ主旨には反しますがひどい目には合いました。それぞれの立場で人間の弱さなのでしょうがとくにSは盗癖+人のせいにする性悪でした。のし上がろうとしましたが後で辞めさせられましたね。

二人目の子に心臓疾患が見つかり手術となり2泊妻が付き添い、上の子と二人で寝ました。妻への負担がかかっていた時期かもしれません。前述の人間関係でなかなkうまく行かない時も続き、お互いストレスも多かったように思い出します。
それでもクルマであちこち出かけました。泊りがけで北海道にも行き、日帰りで横手、角館、大館、大曲の花火も見ました。混雑で帰りは浴衣もひどい恰好で寝た娘を抱いて帰りました。
八郎潟、大潟村に山桜と菜の花が咲く季節は本当にキレイだと思いました。竿灯まつりは前にブログ書いていますが、歩いて行ける距離でなかなか巧の技が秀逸でした。比内鶏の大館駅の弁当やきりたんぽ鍋。稲庭うどん。いぶりがっこ。暖かい名物が多いのもいい処でした。なまはげは愚息は本格的に怖がって大泣きしました。
雪はやはり関西とは比べものにならない。つるつるの道を滑りながら娘は幼稚園に通いました。
東北での波乱万丈な家族生活が始まりました。

特別な関係になった訳でも恋したわけでもないのですが、秋田美人という感じの人が何人かいました。能代のNさん、教育に進むSさんなどは飛びぬけてレベルが高い。今ゆう顔面偏差値高い。前任地の静岡あたりと比べるとそこそこ可愛い人もいたが色白なのと少し艶めかしいクールな面など含め大差で秋田の勝利でした。

あの“玉川温泉”が自宅のお風呂で再現できる!?

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