住みつくのかと思った東北ですが、妻と子の病気入院は重くのしかかり、実家に近い関西で義母らの応援を受けないと難しい状況で、奈良への転勤となりました。【2005年~2008年】奈良と京都の真ん中あたり宇治市大久保に社宅を借りてもらい、子供二人は小学校。妻と長男は京都の病院でそれぞれ治療を探りました。
妻は乳がん全摘の予後。長男は難病ながら、仙台の先生ほどキツイことは言われませんでした。
元気なのは私とムスメなのですが、精神的にはだいぶまいってました。ムスメは愚痴は言わないものの転校もきつかったでしょうし、よく試練を乗り越えました。ワタシもうつ病になるか思いました。
正直、潰れかけたメーカーの、販促がどうのDMの内容がどうの、御用聞きのような仕事を期待する得意先に、付き合うことをいやがりひどい関係でした。上司もまた初の女性ですがどうしようもないパワハラ気質。最近のスポーツ界によくある女帝タイプ。女性幹部登用の典型的な失敗例みたいなケースでした。
近鉄の急行停車駅なので京都駅にも奈良駅にも20分前後で行け、太陽ヶ丘公園。宇治の平等院、田辺の一休寺、学研都市等、あまいなじみの少なかった府南部山城地方をそれなりに楽しみました。
奈良の仕事は思い出したくないほどひどく、1年足らずで滋賀に異動。奈良、滋賀に関しては思い出は別章に書きます。
関西に戻る時、新大阪あたりで新御堂のクルマの列、高層ビル、離着陸する飛行機を見て、田舎に育った子供らは大丈夫かなと心配したのも覚えています。後になって毎日大阪に通うころは何でもない光景が強烈な圧迫感で迫りました。
仙台の人への淡い思い出等完全に掻き消えました。