思い出から16:神奈川県横浜

1982年カネボウ(当時鐘紡)に大学を卒業して入社。37年後花王となった会社を退職した。入社当時は横浜の山手にある教育センターにカンヅメ研修となり、以後も会議や研修で何度も泊まった。横浜の海は今もとても思い出深い。
自分の社会人の原点がなぜかこのとき、同期の連中とサウナからみた横浜の海だ。
外国に繋がる海外に行けるような夢を抱かせ、それでも行先の見えないような不安とドキドキするような希望で見た海。不安なことが一杯だったのにその時は、漠然と希望のほうが多いように感じながら海を見た。
退社してから、横浜を訪れた時、入社当時最新の教育施設が廃墟となっているのを感慨深くみた。アクセスに問題のある山手とはいえ、緑もあり遠くに港も見える良いロケーションだった。
福知山にいた時代に、寝台特急出雲で横浜まで本社会議に参じたこともあった。

大理石の大きな浴場があり、最新のホテル並みと言われた。しかしトイレの排水も今一つとか、所詮大部屋に布団を引くのでとくに若手の頃や入社導入教育等スパルタだったのでいい思い出ではなく、やはり破綻につながる綻びを垣間見た。
東北時代は充実してきていい経験をし始めた。
東日本大震災でも横浜研修センターは被災者を受け入れたが、一部壊れてしまって売却取り壊しに近づいた。
花王グループになり茨城県にある広大な研修施設に行ったときは、これこそ一流ホテルだと感心した。相部屋でなくシングル。滞在者用に洗剤はもちろん無料。
しかしその後できた花王の最新、品川の施設にはさらに度胆抜かれる。

【横浜FC】

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