もう一度学ぼう 米百俵の精神

「百俵の米も食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

幕末から明治にかけての長岡藩の藩士、小林虎三郎の教育にお金をまわした故事に由来します。
1943年に山本雄三の戯曲で広く知られ、最近(といっても一昔)2001年小泉純一郎総理大臣の所信表明に引用されて流行語にもなりました。
小泉が教育にそれだけ注力したとも思えないが、今の政治家や文部官僚、教育産業に、原点に戻り思い起こして欲しい言葉です。
その日の食にも苦慮する藩に送られた米を、未来のため売却し学校設立の費用にあてた故事です。
英語の大学センター試験の民間試験導入見送りの醜聞。関係の方々は本当に教育が何でこれから少子高齢になる日本の社会の未来を本当に、今の自分の目の前の私利私欲を捨てて考えて欲しいです。
そしてすでに大学入試を終えた方々、未来のため、教育にもっと目を向けてあげてください。
未来を支えるのは子供たち、若い人。教育が未来の日本を支えるのです。今の企業利潤や国益、為替利益、貧困や雇用だけでなく、未来の日本が外国に負けない教育のために知恵を絞りお金を出し合うのです。
滅私、公僕、聖職であり、熟等の某教育産業と官僚のやり取りなどはお金の匂いがしすぎます。そんなその時だけの金儲けは国のためにも己の会社のためにもならないことは少しお勉強すればわかりそうなものなのですが。

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