インパール作戦生き残りの叔父が96歳大往生

96歳の叔父、亡き父の8人兄弟の長兄が先日亡くなりました。
昭和、太平洋戦争に関わった人から直接話を聞ける機会はどんどん亡くなっていきます。
日本は満州や中国で戦争状態に入り国際的に孤立していきました。アメリカに石油を始め輸入を止められて、海軍の指揮下叔父は当初アラビア方面に石油確保の外交を命じられアラビア語。アラビアからの輸送困難と見るやインパール攻略でイギリスの援蒋ルートを遮断する作戦支援のためビルマ語を学ばされたそうです。
饒舌な叔父は親戚の集まりでビルマの話をし出すと長かった。私らは黄綬褒章まで貰った大叔父の自慢と苦労の話をよく聞かされました。
インパールは兵站を無視した無謀な作戦で史上最悪と言われる2万人以上の犠牲を出す悲惨な結果に終わります。
叔父は奇跡的に生存し帰国、もはや死んだ者と思われていた京都の実家に運ばれました。
知性と体力、叔父は何かを語り伝えるため生き延びたのでしょう。当時のビルマの将軍アウンサンと交渉したそうで、その娘が今のアウンサンスーチー女史です。
戦争を知らない世代が完全に国のリーダーになっていくことに、戦中派の叔父は平和ボケを嘆きました。
コロナの猛威を戦争と表現されるこの時代に、同世代も少なくなった中、ひっそりと叔父の宿命は終わりました。

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