野中広務 差別と闘った狙撃手:政治家

もう平成、一昔前になってしまうだろうか。自民党の政治家に野中広務という大変強い政治家がいました。オウム真理教事件の時自治大臣国家公安委員長も務め、影の総理等とも言われました。
地方の町長から遅咲きで国政へ出て、田中派の系譜竹下派、経世会に入り、幹事長まで上り詰めます。小泉純一郎や小沢一郎と渡り合いました。
出身は私の祖母の実家と同じ京都府の丹波地方、園部町(現南丹市)です。
角栄、小泉や小沢らに比べても知る人ぞ知るの少し地味な存在ですが、写真のものを含め野中さんを書いた本は自著も含め、文庫新書にもなり多く出版されています。
総理に推す声も出た時期もありましたが、彼は被差別部落出身で麻生太郎などは露骨に反対していました。あまりナンバー1になりよりは実務を影で仕切るタイプでした。京都府議時代も同和行政の改革に尽力されました。彼にしかできない勇気ある改革をいくつもされています。
下野した自民党を再び政権の座に返り咲かせ、加藤の乱を鎮め、自自公連立の構造を作りました。
狙撃手と言われるように、ひとたび狙いを定めた相手の事は徹底的に調べ上げて追いつめて攻略しました。
戦争で死ねなかった運命を政治に捧げたような人です。イージス艦の購入、自衛隊配備にも基本的に反対されていました。
ハンセン病患者和解、公務員の改革を進め、差別される側には優しく、役人の放漫や不当に利益する者は許さない。優しさと強さを持っていました。
平成30年1月死去。
今のコロナの問題もですが、もう少し彼にこの時代まで本当の政治や行政の改革を任せられたらと思いました。国会議員の質も度量も劣化し過ぎた現代にこそいて欲しい実務のリーダーです。

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