日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ】3

カネボウとともに歩んだ人生

化粧品専門店の組織の強さはカネボウが最後まで頼った流通です。私は入社したころ繊維部門で作ったインナーやパンスト等を専門店で売るようになりました。化粧品販売会社を総合商社にしたい向きもあったようです。
制度品と呼ばれるメーカーが直で販売店に卸す化粧品は、価格が決まっていておとり廉売等がされない安定した利益を産む商品でした。
原価率が15%前後ともいわれる商材ですが、ブランド力により市場を大手数社で寡占することと再販制度により価格も維持され販売店も儲かる時代が続き、化粧品事業は順風満帆でした。有力な販売店と優秀な美容部員のマインド、モチベーションを上げ、営業マンを炊きつけることが幹部の仕事になっていました。
高度経済成長期を迎え、バブルを迎えても繊維の構造不況は止まらず、カネボウの持っていた工場や土地のほとんどは売却されました。それでもこの会社の財政の厳しさは変わらず、化粧品の黒字を食いつぶし粉飾を重ねて100周年を終え110周年を迎えようとします。
従来の五角形の多角戦略を替え、情報先端技術等も加えて国内のトップで1兆円の売り上げを目指そうと110計画を中期計画として進めますが、内実は厳しいものでした。国内トップ社員の福利厚生、処遇も掲げましたが110計画はあさり挫折します。
再販制度が撤廃され、ドラッグストアや大手GMSがオフプライスを打ち出すと、長年カネボウを支えていた専門店のシェアも下がり、化粧品の販売はどんどんそれほど儲からない時代に入ります。それは販売する者も作る側もでした。

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