日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ5】

カネボウとともに歩んだ人生5

化粧品大手ライバル2社の昭和50年代以降のCM合戦は、今でも広告業界の当時を知る人には凄かったと語り草になっている。当時一般の女性にとって、トヨタと日産、キリンとサントリー(もしくは今ならアサヒ)、等以上に派手で面白い宣伝合戦だった。
今年の春は片方がレッドと言えばもう片方はピンクとか。
ただこれはマーケティング的には、カネボウの上手い戦略で資生堂を真似ることとけしかけることで同じようなイメージを抱かせました。
私は営業現場でも、友人や一般の方から、カネボウと資生堂はどちらが売れてるのかとよく聞かれました。しかし両者の売上はまだまだ開きがあり、トップ資生堂の半分前後のシェアを推移していたと思われます。マインドシェアで資生堂に並んでいたことはカネボウの石坂常務を中心とした戦略が上手かったといえます。
テレビのスポットCMの量は、実は資生堂には大きく劣りました。しかし効果的なプレス発表や、時間帯や時期を絞ったインパクトのあるCM、当時の広告宣伝としては画期的な戦略で、多くの人が資生堂とカネボウは同じ程度の宣伝をしているような印象をもたれていました。
それでも、もっと化粧品に力を入れる体力、資金力があればカネボウの運命も変わっていたかもしれません。
やがてその体力の差は繊維本体の赤字を支え、少ない広告宣伝費を増やせないことにより、モデルを含めた一つの文化を産んだとも言えます。
カネボウのモデルからは、夏目雅子、松原千秋、沢口康子、米倉涼子、北川景子とスターダムにのしあがったスターがまさに彗星のように周期的に現れました。ブルックシールズ、松田聖子、木村拓哉と有名どころをサプライズ登用させたのもカネボウです。
昭和の時代に比べると、化粧品のCMからスターが生まれるというよりは今はすでに売れている旬のタレントをモデルのするのが主流になりました。
資生堂も含めて制度品化粧品大手はインバウンドやらで売上全体は伸びても、日本人全体でのシェア、ましてやマインドシェアは大きく昭和より落ちていっています。
資生堂を追い、勝つことだけを目指した時期もありましたが、バブルがはじけ、徐々にその影は遠くになっていきます。

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