日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ】6

カネボウとともに歩んだ人生6

ランチェスター戦略が入社当時から伊藤淳二社長が掲げた重要な戦略でした。幹部挙って金科玉条のように唱えて進めていました。
元々は戦争における局地戦から集団戦への戦略法則でしたが、経営戦略としてフォルクスワーゲンのセールス戦略に応用されたとも言われ、自身の経営研究も踏まえて解説した経営コンサルタントを重用していました。(田岡信夫氏)
とくに弱者が強者を相手に勝つ方法というのは、後発で資生堂を追う2位メーカーで決して資金力も潤沢ではなかったカネボウの琴線に触れたのです。
マインドシェアや局地集中でナンバー1のエリアを作り、成功を広めるなどの戦略は一時的部分的には成功しました。
しかし資生堂とがっぷり四つに組むには、その後の資金力に差があり過ぎました。最近のキリンとアサヒの凌ぎ合い等はまさに拮抗したものがありますが、ランチェスター理論を相手も熟知したらもう負けでした。古典的な局地戦では勝てても、一時的に長野県でアドバルーンが上ったとか、どこぞの企業で一等地を取ったとかはあっても全体的には牙城を崩すには程遠いのです。逆に人材や資金力が枯渇すると一気に奪っていた陣地も失いました。
営業マンと美容部員の人的マインドに頼る部分が多いのですが、結局は中途半端な成功体験が逆に大きな改革も成長も止めてしまいました。この時期に限らずいろいろな提案が現場からなされましたがなかなか『資金がない。時期尚早』ということで、遅々として取り上げられることもなく改革は進みませんでした。
後に同族となる、花王ソフィーナや外資系がバブル時代に台頭する中、いつまでも沢口康子一辺倒のキャンペーンでは多様化した消費者にもついて行けてませんでした。大河ドラマ「秀吉」1996年(平成8年)では30歳でしたが晩年を演じてもいましたので、辛口のバイヤーからは百貨店等のトレンドからは1社だけ大きく感覚のズレまくってると叱責されました。古いセンスの営業や企画の人間しかいないメーカーと揶揄されました。
総合商社的にカリスマ販売を求める専門店への荷重が強い分、百貨店やコンビニ、ドラッグ、通販等への対応も遅れて、このことも延命でもあり命取りでもありました。

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