日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ】6

カネボウとともに歩んだ人生6

化粧品の営業でしたが、総合繊維メーカーとしていろんなモノを扱いました。
それは前にも述べた繊維をはじめ食品、ファッション、薬品、ハウジング、電子部品などは上位シェアに程遠く、ニッチ商品はあってもなかなか売上高や収益を大きく改善できなかったからです。
百貨店やスーパー等ショップで扱いのも厳しいなか、カネボウ化粧品の専門店に白羽の屋が立ちます。
第一弾が私の入社2年目1983年、ジャンティショーツという女性向けのパンティでした。 単価はしれていましたがまあまあ売れてヒット商品と喧伝されました。
その後、売りにくいパジャマやらブラウス、パンスト等が続々発売されました。化粧品より卸値は低いが返品不可でした。パンストは今も続く大ヒット商品となりました。
健康食品系も沢山でました。ビタミンEやC、減肥茶やロイヤルゼリー、アミノ酸、怪しげな健康食品も化粧品店に取扱いを懇願しました。
三菱電機との絡みでランジェリードライヤーという下着乾燥機を売ったこともあります。
薬品はさすがに卸すことはできませんでした。
カタゲンというB型肝炎のクスリに三共製薬と共同で力を入れていましたが副作用が問題で1985年販売中止となり、新薬部門は大きく後退し、漢方薬中心の部門になりました。
新薬部門は業績悪化で後に外資系の切り売りされ、漢方だけ残りました。長年の研究開発から認可までコストと時間のかかる新薬にこれ以上力を入れるお金は無かったのでしょう。

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