日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ】9

カネボウと歩んだ人生9

粉飾

ある県の販社にいた30歳くらいの頃。結局、売り上げのため3人だった営業と上司でその県発祥の順大手スーパーに随分と無理を重ねて、ばれて大問題になりました。
さんざん怒られ処分されました。でもその20年後全社あげて、各地区全員が同じようなことを強要されました。
これはもうアカンやろうで自力再建を断念。2005年産業再生機構入り,上場廃止でです。
前年2004年花王との第1回のシナジーが労働組合や社内の一部の抵抗でおじゃんになりました。過剰在庫などをさっぴくと化粧品にもそこまでの価値がないこと。化粧品を売って本体を再生って、今のクラシエ見てるととんでもないスキームでそれも元々無理筋でした。
この2003年3月期、会計基準の改定に伴い、連結債務超過と上場廃止を避けるため帆足隆社長のもと粉飾が重ねられました。
私など、本社経理でも幹部でもないので限られた情報ですが、たとえば本来破棄すべき廃番商品、改廃商品を梱包し直し、薬事基準の緩い南米に輸出するものとして資産計上するとの話は聞きました。しかもその価値見直しもハンパでない金額です。もちろんきれいに梱包してもブラジル人が買うことはありませんでした。
帆足社長は、私らの直属上司のずっと上の支店トップの上の地区リーダーのさらに上にいる天上人であり、ワンマン将軍でした。しかし販売のカリスマでしたし、子会社上がりで学閥もないたたき上げで諸先輩本流を退け抜擢されました。その気負いもコンプレックスも焦りもあったのでしょう。器以上の職責に耐えきれなかったのかもしれません。この化粧品会社の販売部門のスターに、すでに危篤状態の財政の会社を押し付けられたのは悲劇であり、何とかできるかの期待は無残にも最悪のコースをたどり、名門も泥の中に沈んでいきます。
自分を庇うわけでも言い訳するわけでもないですが、誰もがまさかとは思いながら陥りやすい極めて日本的なよくある話でした。

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