戦争から還った叔父、還らなかった叔父 8月15日

8月15日はやはり日本人にとって特別な日です。祝祭日ではなく官公庁等で土日でなければ休日ではないところもありますが、多くの企業では夏休み、お盆休みです。全国戦没者追悼式典が行われるいわゆる玉音放送で全ての国民が敗戦を知った日。昭和20年太平洋戦争の終焉、終戦記念日です。
今年4月に亡くなった大叔父は、ビルマ(現ミャンマー)従軍、いわゆるインパール作戦に通訳として終戦を迎え奇跡的に生き残りました。
私の父は、京都伏見で7人兄弟。奇跡的に還っ長男。二男と四男は特攻に散りました。三男が本家を継ぎ、五男とともに軍隊にいましたが内地で終戦でした。
先日の京都の新聞の一面には19歳で終戦の直前に特攻で亡くなった四男、實叔父のことが特集されていました。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/327004

75年の歳月を経て、このようなことが多くの人に報じられることを亡き叔父も父らも知る由もないのか、どこかで喜んでいるか驚いているのでしょうか。
戦争の特集の一つで、当時の戦争や特攻の是非はあるのでしょう。
戦争や特攻を美化、称賛することもいけませんが、いわゆる自虐史的に戦前の日本人が一方的に凶悪で狂っていた訳ではないはずです。一人一人に思想も青春も夢もあったでしょう。
19歳で散った命と、90才を超え生きること、伝えることの出来た命。
正に奇遇でもあり、それが運命、宿命なのでしょう。父もその弟六男も亡くなりましたがの實叔父に『続け』と言われたその下の弟。予科練にいた五男の五市叔父は91歳でまだ健在です。父と年が近かっていろいろ共に苦労してきた仲で私とも親交がありました。
あれからの戦後、昭和の発展、平成から令和の時代を経て、昭和34年生まれの私はいつまでも戦争を知らない世代であり、リアルには何も伝えられません。
ただ平和で安全な時代を勉強とか社会の中で苦労があっても、のほほんと生きてこれたことを僥倖と感じないといけないかもしれません。
戦争は戦後日本人が75年経っても宿啊となっています。偏ることなく歴史を見つめ、伝えることもまた私達世代の宿命です。
19年だけしか生きられなかった時代があったことを刻んで、60年も90年も生きられることに宿命を感じ、未だなすべきことを探す人生でありたいとも思います。叔父達も父も母もどこかで見ているのかと思います。

http://seizafpkotodama.com/wp-admin/post.php?post=2263&action=edit

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