未来を想像しながら、今日を生きよう!【1】

2020年降って湧いたコロナ禍で、いきなり前が見えないくらいの絶望に落ちた方も多くおられます。未来や将来どころか、1年先、半年先が見えない。今日明日をどうしのぐかという方も増えています。
しかしまた、この局面でこそ多くの人が未来を考えて行動しないと、人類や国家の先行きは危ないのです。言うまでもなく未来は今、目の前の利益や恩恵だけを考えていては、成り行きだけのものでしかありません。全ての人が自分の子や孫の世代に、どういう社会になっているかを考えて今できることをイメージして、いい方向に共有していかないと明るい未来は成り立ちません。
行政や政治、学者が考えればいいのかというと決してそれだけではありません。
ではお上に任せ、増税は良いのか、地方の切り捨て、高齢者や困窮者の福祉、雇用は、地球環境は?
本当に政治に任せておけると信じている方は少ないでしょう。
示される未来も努力目標も決して楽なものはなく見たくない絶望的なものもあります。政治家は目先の選挙もあり、「とりあえず大丈夫」という根拠のない安心を繕います。
コロナはいろいろあぶりだしたものもあります。オリンピックを始め、工事の遅れ等を鑑みるとリニアやIR、その他の事業や大型イベントが先送りになって行きました。
反面、速度を上げて見えだしたものもあります。いわゆるテレワーク、オンラインでの会議や学習等すでに技術的にはあったものの顕在化です。なかなかリアル信仰みたいなものがまかり通って実現できなかったことが進んだのは実験としても半強制され、課題も見えました。
ただ、加速したものは概ね負の要因も伴う大きな変化、変革と言えるものも多いです。
この項目は日本だけでも多岐にわたり何回かの機会に分け述べることになると思います。
代表的なのは、伝統的なお祭りや花火などの行事が中止、大幅に縮小されたことでした。
コロナが無くても10年か遅くとも20年のスパンでこういう問題は担い手の問題や採算ベースで無理になってくるので合理化は予想されたことです。
たとえば歌舞伎、人形浄瑠璃、伝統芸能でも国や自治体の支える部分を削れば反発もでます。
でも命にはかかわらない支出なのでやはり公的な支援には限界が来るときがあります。
医療や保健を削れば今回のような疫病が起ればまた大変です。
保健所がリストラされた後だったので、今回の感染拡大になかなか人員的に対応できなかった。行政の規模縮小問題。今回公務員給与は減らなくとも窓口にあふれる申請者、相談者への対応に追われ、マイナンバーなITの遅れ、システムの遅れも深刻な予算不足からです。
前月には大雨で多くの河川が氾濫し、護岸の土木予算や人員が必要なことも分かりました。インフラも新規にも維持にも予算は必要です。そして雇用や労働、景気、、。

すでに財政が厳しい国家は打ち出の小づちを振るうわけにはいけません。国家もl国民も優先順位をつけて取捨選択をせざるをえない。大きな変革の波がきます。国家は破綻することはないでしょうが、今まで持ち続けていたものや価値観は捨てさせられる。そんな時代がやってくるでしょう。

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