尊厳死、安楽死、コロナ放置死、日本人の死生観

昔の日本の方が死の尊厳があったとも言われています。
寿命が延び50代で死ぬのは珍しくなり70や80が当たり前になった。まさに感染症等の多くの病気が克服され、治療法もわかり、なかなか病死せず長生きする時代になります。
そのせいで、ほとんどの人間としての意志のある活動が失われ、食べることも動くことも考えることすら失われても、物体として生かすことができる。
正確な安楽死、尊厳死は厳密にどこまでかは本当に微妙な判断だそうです。
私の今年七月、病院から母危篤の報で深夜に呼び出された時、お医者さんは実質死んでますと言われました。8年前も深夜、父の時は間に合わなかったのですが、今回も間に合ったとは言い難いような。新型コロナで、しばらく会えない間に急な知らせで、実質的な別れの挨拶もなかったです。
ただ酸素と電気ショックで動く状態で、迷っている内に数分で兄が到着して延命を揃って止めました。
嫁や娘らも見るに耐えず早く止めて欲しかったと言っております。
医学が進歩して、老人の医療や介護の体制は進んだのですが、昔なら家でぽっくりと安らかに死ねたのものです。
今はホスピタル等末期の施設ならまだマシなのか、長生きすることは尊厳を失うような最後が増えてきました。そしてコロナで、死者にも会えず、葬式さえまともにできない。こんなバカな指定感染症のっ法律は早く外し、健全な経済まともな冠婚葬祭を行えるぐらいには戻らないといけません。

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