戦後75年 伝えるもの 

太平洋戦争から75年。私の身近ではインパール作戦従軍通訳だった大叔父が98歳で他界しました。酔うとビルマ(ミャンマー)での苦労を延々と語られました。
父の兄弟は特攻で二人死に、戦争の時期を知るのは予科練に行っていた一つ上の兄、あと妹さんが一人だけです。私の母も今年他界し、先に亡くなった父とともに、戦前生まれの終戦の苦労をもう聞くこともなくなりました。実際に戦地から引き上げてきた人や、原爆の体験をした人は75年の歳月でどんどん減っていきます。
テレビドラマ等で一代記のものなどで、戦中も描かれます。CGも発達しましたが描写は何となく制限もあり淡泊です。
浮浪児や傷痍軍人もどきが、町にいた薄汚れた時代よりも今は何もかもキレイで、食べものも衣類も溢れています。
かぼちゃやお芋が最大のごちそうだった時代もあったこと。やはり伝えていくことは必要でしょう。
世界を見渡すと、内戦や戦火にある国もあります。軍事独裁で国民には自由も恵まれた食事もない国もあります。日本もいい時代ばかりではありません。内戦を含めれば多くの時代で、戦争があり飢餓も争乱もありました。日本の戦後も自動車事故の交通戦争や公害、地震、原発事故といろんな災害もありました。
今の日本で恵まれている人は僥倖ともいえるラッキーな時代と場所かもしれません。それでも恵まれない人はいます。幸運への感謝の気持ちと、不幸な方への分配を忘れないことです。
75年、噛みしめるには長いようで、運命と思えば短い瞬間のすれ違いかもしれません。

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