小柴昌俊さん、やはり非凡な努力と、数奇な運命

#ニュートリノと私 #小柴昌俊

大正15年生まれ、先日大往生されました。
豊橋生まれ東大卒なんで、関西人の私は判官びいきで山中さんや、田中さんに比べて最初親しみは持たなかったのです。
でも経歴を拝見すると、中学で小児麻痺、横浜の波止場で人足等と苦労されました。
何より大正から昭和初めに生まれ育ちです。大変な時代を子供から学生まで過ごされました。ノーベル賞までの人生は山あり谷あり、大波も嵐もあったようです。幸運な出会いや、それを引き付ける魅力や努力があったのです。
研究では敗戦国の若造がシカゴ大学で重用されるアメリカの当時のおおらかさ、予算のない日本カミオカでの工夫など、面白く読めました。
今の時代、いろいろ世界の情勢も日本の学界も企業も違います。産学合同だと目先だけで、儲からない研究にお金が回ってこないという話も書いてました。
でも戦後間もない頃の海外雄飛に比べれば、今の若者の可能性は大きいはずです。この本を読んでコロナ禍で閉塞した日本に大きなチャンスを見つけて、小柴さんの後を追いかけてくだし。
活字大きくさらっと読めます。オススメ。小柴さんの遺志を継ぎ、多くの後を追う日本の若者が物理や他の分野でも研究に挑むきっかけを掴んで欲しいと思います。


大正15年生まれ、先日大往生されました。
豊橋生まれ東大卒なんで、関西人の私は判官びいきで山中さんや、田中さんに比べて最初親しみは持たなかったのです。
でも経歴を拝見すると、中学で小児麻痺、横浜の波止場で人足等と苦労されました。
何より大正から昭和初めに生まれ育ちです。大変な時代を子供から学生まで過ごされました。ノーベル賞までの人生は山あり谷あり、大波も嵐もあったようです。幸運な出会いや、それを引き付ける魅力や努力があったのです。
研究では敗戦国の若造がシカゴ大学で重用されるアメリカの当時のおおらかさ、予算のない日本カミオカでの工夫など、面白く読めました。
今の時代、いろいろ世界の情勢も日本の学界も企業も違います。産学合同だと目先だけで、儲からない研究にお金が回ってこないという話も書いてました。
でも戦後間もない頃の海外雄飛に比べれば、今の若者の可能性は大きいはずです。この本を読んでコロナ禍で閉塞した日本に大きなチャンスを見つけて、小柴さんの後を追いかけてくだし。
活字大きくさらっと読めます。オススメ。小柴さんの遺志を継ぎ、多くの後を追う日本の若者が物理や他の分野でも研究に挑むきっかけを掴んで欲しいと思います。

Yoast SEO

パネルを閉じる: Yoast SEO

  • 文書
  • ブロック

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください