出会った人の思い出1
いろんな人と社会人になって出会いましたが、最初の3年間大阪の南の方の支店(当時販売会社)の人たちは今でもよく覚えています。その中でも転勤等で複数回あった人は印象も深いのと、縁を感じます。
Sさん(仮に鈴木さんとしておきましょう)は年(学年、入社年次)は2つ上で背の高い好青年でした。先輩社員として養成担当だったI川さんの後任として、当時は3年目で必ず転勤があるローテーションで来られました。私がいた第一南というところは全国でも大変厳しく、細かいところで鬼のトップと課長のいるので有名でした。最初の母点がユルイところで、最初の転勤が厳しいところというのは難しいパターンです。恩着せがましく偉そうに私に先輩ずらしたI川さんに比べ、鈴木さんは社内のモノの置き場、人間関係や地域の実情等は私に聞いてくる丁寧で朴訥な人でした。
丁度1年後輩にも私と同姓がいたので「智史」と名前で呼んでくれていました。
本人もタフだったのでやがて厳しい状況にも慣れて、後輩の私を一目置きながらも面倒見る感じでした。二人で新規開拓に山の奥まで行き脱輪して難儀した思い出もあります。
私が3年目で転勤する前の慰安旅行等で、女性関係でいじられるところを庇ってくれたことを覚えています。
その鈴木さんと20代だった頃から30年ほど経って再会した時、彼は豹変していました。立場、役職はずっと上の流通部長でしたが、その評判はパワハラ、セクハラ、ヤクザまがいの恫喝する噂でした。実際の顔も凶悪な人相で、恰幅もよくなってましたが、どこか疲れた感じで、訓示も暗い話が多かったようです。
「智史」と呼ぶのは変わらず、「智史変わらんなあお前だけは」お前にまた会ったのは、若手の頃思い出して一生懸命やれていうことやろかなという話もしていました。
しかし、大阪での彼の評判は悪いまま売上全体も上がらず、まもなく降格ではないものの長野への異動で短い再会は終わりました。
まもなく鈴木さんの定年退職の告示だけ見てもう会うこともないと思っていました。
ところがある日、私も京都から姫路へ毎日新幹線で通う日々に、一度新大阪駅のホームで鈴木さんにバッタリ会いました。「新幹線通勤」というと、「俺は今から一から研修やのに、何でこんな立場かわったんや。でも智史は変わっとらんなあ」
「まあ、智史、がんばれ」「はいお疲れ様です」
少し、寂しげな背中。さすがにもう会うことはないと思いました。
彼の顔をあれだけ変えた30年も会社生活。当時生き残り、出世するのに大変なく売ろうのあった会社です。変わらなかった私、どちらが良かったのかは聞きもしないし、分かりません。