東日本大震災の被災した鉄道と言えば、最後まで復旧に手間取ったた福島県を通る常磐線や、あまちゃんの三陸鉄道を思い浮かべる方も多いでしょう。
震災前は仙台にいた私は仕事のエリアが仙台~石巻間の往復も多かったので仙石線を思い出します。
塩釜、松島周辺をしばらく東北線と並走し、海岸の車窓も素晴らしい路線です。
比較的有名な話で私もブログで少し書いたことがありますが。あの運命の10年前3.11で仙石線野蒜駅を14:26同時刻に発車した上下の205系電車は「生と死」に分かれます。
野蒜地区で運転手の判断により上下列車で運命を分けた話。
どちらも野蒜駅を発車してすぐに緊急停止します。
マニュアルに忠実な運転手の指示に従い上り仙台方面1462S普通列車の乗客たちは、電車を降り指定避難場所の野蒜小学校を目指しました。
一方、下り石巻行き3353S電車はたまたま高台の位置に止まり、やはり指定避難場所へと誘導しようとする乗務員に、ある年配の乗客が「ここは小学校よりも高台にある。ここにいるほうがいい。それに歩いて避難したら途中で津波にあうかもしれない」と提言します。
おろらく運転手も咄嗟に究極の判断を迫られたでしょう。マニュアルを守らずに被災する可能性もあります。しかし運転手は最後は「電車の中で待ちましょう」と乗客の意見を聞き入れます。
野蒜小学校は津波の直撃を受け被災します。乗客の数名は命を落としました。下り3353Sは高台に僥倖ともいえる運命と究極の状況判断で生き残りました。
もちろん同じ時間の列車ですが上下で位置は違いますし、上り列車が逆行して3353Sの高台に向かうという選択肢はありませんから、1462Sがマニュアルを守ったから被災したのではありません。被災の運命は野蒜駅ですれ違った時点で決まっていたのでしょう。
仙石線の線路も駅も山沿いに移転して、東北本線の乗り入れ列車やハイブリット車両も乗り入れ野蒜駅は生まれ変わっています。
以後JRの「津波避難行動心得」に(三)降車、避難、情報収集にあたり、お客様や地域の方々に協力を求める というものが追加されました。
5年前、運転再開された仙石線野蒜駅。高台から遠くに霞む松と海、何だか目頭が熱くなります。人の運命、列車の運命のすれ違い、電車に乗るときなにげにすれ違う多くの列車にはその数だけの運命があり、乗務員や乗客の判断があるのだと思いながら眺めています。
“【東日本大震災10年】生と死 運命を分けた野蒜駅発205系電車。仙石線の思い出” への2件の返信