環境問題はなぜ人を窮屈にさせるだけなのか

レジ袋有料化に続いて、プラスチックのスプーンの有料化、違反罰金というニュースが流れました。
環境問題、地球温暖化等どうも、世の中を不便、不自由にして窮屈な世の中を作っていまいます。
不法投棄による海洋や河川の汚染防止、プラスチックを作るためのCO2削減、二つの意味合いで環境問題は同調圧力となって世論や政治のモーブメントになっています。
ところが後者のカーボンニュートラルに関していえば、こんなことをしてもほとんど影響はないのです。
詳しく書くと長くなるので詳細は別の機会としますが、たとえば金属のスプーンを持ち歩くにしてもそれを洗うのには水や洗剤を使います。水はその分浄水しますし、洗剤も多くは石油で作ったり運んだtりしています。使い捨てプラはそのまま捨てるわけできっちり分別して捨てれば環境負荷はあまり変わりません。
CO2削減の目標とまでいうと、発電やクルマ、石油製品のスキームを根本から替えないと意味がありません。意味のないことで市民がいがみ合い、根源の問題に触れないことはおかしいことです。それが象徴だとしても、根源に触れずに満足してしまうだけでは削減のゴール等程遠いのです。
残念ながら地球温暖化の多くのシナリオは、原発推進派から出されたフェイクに近い飾られた情報が多いです。CO2削減に関わらず仕方のないことも多く、そう普通に生活するのに影響があるわけではありません。
むしろ寒冷化する可能性もあり、人間の生活は寒冷化した方がマイナスは大きいのです。
河川や海洋の汚染はいわゆるポイ捨て、マナーの問題です。有料化してゼロにはなりません。啓蒙や教育の課題です。ゴミ箱を減らした施設の管理にも責任があります。信賞必罰のルールもはっきりした方がいいでしょう。

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