コロナ禍2年目の桜

日本人に必要な春の花見

近所の桜のつぼみも綻びだし、SNSでは開花の写真がアップされ、選抜高校野球も開幕というとコロナは完全に終息していなくとも、春だなと思います。
花見や卒業、入学、入社、歓送迎会等の時期を待っていたかのような、首都圏の緊急事態宣言解除には賛否があるようです。
2年目の今春は、甲子園の選抜高校野球も観客制限で行われている折、コロナの実態も対策も手探りだった1年前とは様相も違います。確かに緩みや油断は禁物で、集まってバカ騒ぎでリバウンドしては論外でしょう。しかし身近に自然を愛でに外出するのは良いことだと思います。
花見の名所等の人々を見ているとやはり1年に一度のお花見という行事がいかに日本人に染みているか分かります。

首都圏の人口集中緩和が必要
私は国全体の経済や防災の点等で首都圏一極集中の緩和、分散を常々言っています。
東京周辺に住んでいる方に罪はないですし、別にこの人たちが企図してコロナをばらまいているわけでもありません。最後まで宣言が延びよく我慢された方も多いでしょうし、労うことも必要でしょう。日本の人口の3割程を占め、平日は人とコンクリートの間を往復するだけの人々が自然を渇望するのはいたしかたのないことだと思います。
都会の便益の反作用と、地方から非難するのも簡単ですが、いざ自分が狭いケージに閉じ込められた養鶏場の鶏にされたと思うとやはり首都圏の方に同情を禁じ得ません。
地方に住んでのテレワーク等、絵空事と言われますが、国家として目標を定め一歩一歩でも進めていかないと、いつか大きな災害が都市を襲う可能性は煽りでなく高いといのは周知の事実です。耐震や津波、インフラ対策、感染症対策等で予算も制限のある中で実現していかないといけません。優先順位は高いはずですが、大地震もパンデミックもいつ来るかまで明言されないため先送りにされがちです。
巨大都市圏の首都圏を防災しながらの集中緩和は喫緊です。

感染拡大の源は中高年
もう一つ具体的なお話があります。今回たまたまコロナの重症化や死亡者が若い人に少なく無症状で世代間格差が注目されました。感染者が増えたり、下げ止まると決まって渋谷や新宿の若者、品川のビジネスマンが毎度画面に映り刷り込まれまています。
数値とこの映像を毎日見てコメント聞いてると確実にこの人らが悪いと洗脳されます。
専門家の間でもPCR検査で無理やりあぶりだされた無症状の人からの感染力は著しく低いデータはでています。重症や中程度の症状が出る方の発症までの接触はありますが、それも8割は中高年であり、若者の夜の外出自粛にはみんなで我慢してやってるという精神論以外あまり効果がないと考えられます。
毎日一日中遊んでる人は少なく、人間の移動の大部分は毎日の仕事です。そこを変えることの効果の方が高いのは当たり前です。
テレワークができない、リアルな会話や接触を求めるのはその知識や技術がなく孤独を感じるからです。
会社の規模や体制の問題も大きいですが、テレワークや在宅ができないのは老人、中高年です。
一部若者にもいますが、ある会社曰く一般的には出社したがるのは(幹部として止むをえない場合もある)ほとんど中高年だそうです。
喫茶店やイートインコーナー、カラオケやらで井戸端会議や騒ぎやるのも20代~30代はほぼなく、中高年がほとんどだそうです。しかもソーシャルディスタンスで使用制限等も無視して多人数にもなりがちなのです。
LINEやSNSでのチャット等にも問題もありますが、それすらやり方を知らずにリアルな接触に拘るのも現状迷惑な話です。ちょっとしたやり方IT、コミニュケーションのツール教えてあげたい人々は多いです。これは行政が踏み込めば一歩でも二歩でも進む問題です。
もちろん、桜や自然を愛でるのと同様、人と人は実際に語り合うのを非とは言いません。むしろ精神衛生上も適度に外へ出てのコミニュケーションは必要だと思います。


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