かつて戦争のために敷かれた鉄路 廃線跡を歩く  #廃線跡散歩

ややマニアックな趣味なのですが、健康のためのウォーキングを兼ねて廃線を歩くことを趣味としています。
昭和初期の廃線から、最近になっての廃線までいろいろあります。鉄道から、昔の文化や社会を知ることができます。戦争があった時代は鉄道は戦争に利用され、また戦争によってできた鉄道もあります。
平和ボケというのだろうか、飽食の時代に生きているので、水もスイーツも安全も楽に手に入るのが当たり前になっています。少し暑くてコンビニや自販機が見つからないと、いきなり飢餓感を覚えますが。戦中戦後間もなくの日本はこんなんでは無かったと思うと我慢もできます。少し歩けば、何とかなるのが今の日本です。
弾薬を運んだ鉄道の、廃線跡を歩き。戦後も挑戦戦争まで米軍に利用され、自衛隊に戻されてから廃線になったと書かれた碑を見ました。朝鮮戦争のことは、私は生まれる前なので詳しくはありません。日本は補給基地となり、特需により戦後復興で高度経済成長につながったと言われます。分断された朝鮮に比べ、国体をほぼ維持できた日本は幸運だったと思います。またこんな近い隣国での戦争がもし今あったとしたら、リアルな戦争体験者が多かった昔と比べ、ミサイル等の殺傷力も上がり危機感、恐怖感は強いでしょう。
鉄道は、第二次大戦以降は戦争のロジスティック利用も、長距離移動手段としてもピークは過ぎていきます。欧州やアジアを見ても第二次世界大戦が最後の鉄道を利用した戦争でした。
軍港や戦時おロジスティックで使われた港への鉄道も廃線か存続しても、かつての賑わいはなく、大きなヤードが寂しげな駅も多いです。
戦争はまだ世界のどこかでは苦しんでいる人のいる現実です。そしてつい70年ちょっと前には日本やその周りにも現実としてあった。その賛否は別として、遺産として鉄道の跡から想像することができます。

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