いろんな制約、ハンデ、ルール、厳しい条件、不公平もあってメダルの価値がある  #オリンピック#検疫#新型コロナ#いだてん

2年前のドラマで日本から初めて五輪に参加した時の様子を描いた「いだてん」では、日本からシベリア鉄道で長旅して、大変な思いでストックホルムまでたどり着きました。
当時は体格も運動能力もスポーツのあらゆる素地がない国が、参加するだけでも大変な意義出たことが良く描かれてました。こうした日本の勇気ある魁の志による参加が、他のアジアやアフリカに文化や政治、経済の自立と成長へ与えた影響は大きいと考えられます。
1964年のアジア初の五輪もまたその志の成果でしたし、その後当時参加できなかったりメダルに程遠かった国もどんどん参加しメダルを争うレベルとなりました。
それでも、1つの国に世界中の様々な競技者が4年に一度集うのですから、必ずしもその4年間の自己ベストが実現できるわけではありません。また事情により実力がありながら予選敗退や、ケガや政治的な事情等で棄権する場合もあります。
移動は飛行機で時間も短縮されましたがそれでも今回コロナの検疫問題も発生しました。もともと世界中から移動して参加することには、いろんな制約、不公平、厳しい条件、ルールやレギュレーションに縛られたものがありました。
自分の国の中でのコンデションでの記録ではないのです。大陸を移動し、4年の時間、世界中と競ってその中でメダルの価値があるのでしょう。ただの記録ではない、そこにたどり着いたことの価値の証明なのでしょう。
人類がコロナと戦い勝利した証にするというのはさすがに強引な後付けのようなフレーズで好ましくはありません。
しかし、シリアやミャンマーなど相当な戦時下内戦状態の国でも駆けつけることを思うと、一時的にもコロナを忘れ戦争を忘れるイベントの意義はあります。
人類が集い競技を競うことが素晴らしいことには違いはないのです。

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