寿命により違う時間、早死にしていた時代は時間の感覚も違っていた?今日生きている人の一日は、死んでいった人が生きられなかった生きたかった一日だからです。

動物たちは体重によって種の寿命の長さが決まるという説の本がありました。「ゾウの時間とネズミの時間」でした。
犬や猫も人間より小さいですから、早く青年になり老犬、老猫になります。
人間は動物の中では大きく寿命も長いです。どんなに可愛がった犬や猫も自分より長生きすることは稀有です。
最近日本人も体格が良くなった寿命も長くなりました。
人生50年と「敦盛」に唄われたように昔は人生50歳でもう老衰で亡くなっていたのです。平均寿命は若くして死ぬ人子供の死も多かったので江戸時代までは、もっと短いものでした。明治維新ぐらいまで幕末の志士たちも尊王攘夷を掲げ死に急ぎました。まだ病気を治す医療も発達していない時代で戦いであるいは志半ばで自決したりしていました。
もう70年になりますが第二次世界大戦太平洋戦争でも多くの若者も死に急ぎましたし、殺されました。
20年で死んだ人と、50歳、60歳、あるいは80,90と生きられた人にどれだけの時間の過ぎ方の違いがあるのか分かりません。それは動物の寿命の感覚が分からないのと同じかもしれません。
20代で死んでも歴史に名を残している人は沢山います。時間としては数倍生きても、凡庸な生き方の人が大半です。やはり短い年しか生きられなかった人には充実した時があったと思いたいです。
時代の移ろいはあって、平均寿命は推移しますが個体としては寿命の差はあります。事故等で不慮の死を迎えた人の無念ため、生き延びた人は替わりに充実した時間を過ごさないといけないのです。
今日生きている人の一日は、死んでいった人が生きられなかった生きたかった一日だからです。

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