原爆を落とす日 「いつか、、、」#つかこうへい

光文社

今年もクソ暑い8月の上旬、太平洋戦争の末期、米軍が日本に原爆を落としたことを振り返る日々が来ました。
私ももはや若い人から見れば戦中はにも見えるような年寄りですが、1959年の高度成長期生まれで、戦争は語り継がれたものです。
大学時代に演劇を志したこともあり、1980年代同世代の演劇人にとっては「つかこうへい」は時代を代表する大きなインパクトある演出家、脚本家でした。1948年生まれで戦後派です。
当時小劇場、アングラ演劇は唐十郎や寺山修司等に代表され「胎内回帰」とかシュールで暗く難解なイメージでしたが、アングラ第二世代と言われた「つか」の舞台は、明るくおふざけの多いアクションあり、マシンガントークで畳みかけるコミカルでハイテンポで、派手なアクションやダンスも取り入れた時もあり、その中に深いテーマを盛り込んだ舞台でした。
「蒲田行進曲」の映画化ヒット等で一時期つかは時代の寵児ともいえるくらいの人気を博します。今でいう三谷幸喜ぐらいの売れっ子でした。この影響で野田秀樹、鴻上尚史等も続々と現れ、若い世代に演劇が根ずくことになります。今は硬派の作品や、人気のあった舞台の本しか残ってない感じですが、当時角川書店やらいろいろエッセイ本等玉石混淆で沢山出てました。
「広島に原爆を落とす日」は「戦争で死ねなかったお父さんのために」に続く戦争をテーマにした作品で、戦中の設定は初めてのものです。正式な戯曲、脚本がなく毎回、口立てで変化するのが特徴のつかの演劇です。逆に初期と後期では全く変異しています。
得意のギャグの多いハイテンポなトークの中に、カミングアウトしたつか自身を投影した朝鮮人の主人公が代表的な後期の作品です。いろいろな政治的要素、差別等の社会問題が入りながらも日本人女性との悲しい愛を描くところに力点が置かれているのは一貫したこの演出家の姿です。
原爆の日の追悼にはやや斜めからの視点かと思いましたが、どうも今は当時のイメージ以上につかこうへいの硬派な部分が残り伝わっているのかなと思います。
それでも切ない愛があり、笑いがあり、争いや大きな悲劇を起こしてしまうのが人間の性なのだと描いていると思います。
原爆を非難する人、核兵器を容認する人、無視する人「8月6日にはそんなことちゃんと考えておけよ、日本人なら」とつかこうへいは言い放ったそうです。
戦後間もない九州に在日として育ったつかの少年時代の苦しみは想像しきれません。それをユーモアとエネルギー溢れる舞台にして一時代を駆け抜けた姿はかっこいいに尽きます
今、世界のさまざまな人種のアスリートが東京に集っていますが、差別や格差、内戦、飢餓はまだまだ世界中にあるようです。
金 峰雄(キム・ボンウン、 朝鮮語: 김봉웅 )が、ペンネーム「いつか公平に」に託した

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