スーパードクターはドラマだけの話なのか

Cropped view of content middle-aged male doctor standing with his arms crossed. Isolated front view on white background.

現実の世界に半沢直樹のような銀行マンはいないだろうし、多くの推理ドラマの熱血刑事も神のような洞察力の探偵もいないのでしょう。
医療過誤も起こっているわけだから、医者が完璧な人間だとも思いません。「白い巨塔」はじめ多くお医療ドラマにはスーパードクターも登場するが、現実同様に伏魔殿的な薄汚い病院トップや医師会、厚労省や政治家が描かれています。
しかし、目の前の人の命を何とか救いたい、ドクターヘリや救急救命士の必死な姿は決してドラマだけのものではないと思います。
コロナに立ち向かい、寝る間も惜しんでいる医療関係者も沢山おられるでしょうし、感染病棟のない病院でコロナによる医療の逼迫を忸怩たる思いをされている方もおられるでしょう。
元来、お医者さんがみすみす診察も入院もできずに自宅療養のまま、命を落とすのを容認することはあり得ないと思います。
ドラマの熱血漢でなくとも、必死になって身体をさすり、心肺をマッサージして、適切な処置をするのがお医者さんであり血の通った人間です。
それが、いつの間にか現場を離れ、政治色に強いところに出世すると目の前の命よりも、大事なものができてしまいます。これは研究でも製造や営業、どの分野や職種でも同じようです。現場を離れた経営クラスが現場と乖離した政策に没頭し、結局は市民目線から離れ棄民をしてしまいます。
今、医師会はじめ多くの病院のトップ等は現場の命をいかに救うか、本当に政府に対して医療の現場から訴えるべきは何かを考えて欲しいです。
急変時のタイムラグの問題が大きいでしょうし、何より医者に行けて診療を受けられ、入院治療を受けられた安心感に勝るものはやはり在宅治療では難しいのと思います。
無医村に近い過疎地の医療体制を考えれば、本来お医者さんは何でもありでいいはずです。指定感染症2類の見直しというと難しい問題になりますが、今目の前にある人を医者が助けることの妨げになるものは、すべて例外として対処可能にするのこそ緊急事態というものだと思います。

ICUも医者も看護師も余っている。コロナの猛威に対応することなく、時間が流れるのではなく、コロナで一番厳しいところにいる患者へのサポートができる体制を早く構築しないといけません。

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