難病を持つ親から見て  コロナ蔓延下の医療現場に思う2

【難しい選択 大変な装備とかかる時間 何かが違う】
昨日のブログの続きです。熱の下がったもののコロナだった可能性もあるので、かかりつけ医はどちらかというと勧めなかったのですが、接客もする仕事なので念のため大病院でPCR検査を受けておくことにしました。結果陰性でしが、それまでに長い時間を要しました。
結局、職場も風邪症状があったため検査結果の出るまで出勤待機となりました。しかし、愚息が腎臓病で入院中なので、よく考えると陽性、無症状のいわゆる偽陽性でも出たら、自分の仕事だけでなく家族に大変な負担をかけるあまりよくない選択でした。
しかももうとっくに熱は下がって平熱なのに長い長い待ち時間のロスです。感染症であるので時間外窓口での受付、おおがかりな防護スタイルの医療関係者による、説明、問診、結局外のテントで待たされて、検査、精算、結果は翌々日です。
感染症の拡大を抑えるためとは思いますが、かかりつけ医は待合室の壁にへたり込んだ女性の後、同じ場所で同じお医者さんと触診されていたあの雰囲気とは大差です。
やっている人は大真面目なのでしょうが、何かどこかですごくアンバランスを感じます。
確かに、腎臓の難病を抱えるわが子供を考えると何年も前からと同じ医療体制を死守してくれている今のコロナ禍での感染症特別対応で遮断している日本の医療体制は心強いものです。
ガンや脳腫瘍、循環器系の手術等も今のところ全く影響はなく、別の病院や手術棟で粛々と進んでいます。
しかし、一歩間違うとコロナ禍での家族や関係者の大変な制約につかまります。


【指定難病との戦い】
私の息子の病はRare Disease難病、希少疾患です。私と妻はこの息子と小児慢性特定疾患と分かった18年ほど前からずっとこの疾患相手に知恵や情報を取りながらお医者さんとともに戦っていました。
腎臓とそれにまつわる医療の世界、医学界や厚労省、いろんな周辺の仕組みも知りました。
医学会も上に行けば厚労省と同じくお役所であり、政治や経営の世界だともよくわかります。
新型コロナはRare Diseaseと反対のCommnn Diseaseありふれた病気で、私のかかりつけ医との会話に出てきた通り、誰でもどこでもかかる風邪の1種だということに間違いはありません。
コロナを恐れる人、パンデミックを恐れる人達はこの言い方をひどく非難されます。
これは言霊の力への怖れなのでしょう、風邪やインフルエンザも新しいタイプによって高熱が出て試験などの大事な日に休んだり、脳炎や肺炎になって、基礎疾患者や子供、老人は死にます。風邪と聞いて軽く思うかどうかは個人の勝手な想像です。
ただあまりにも罹る人数の多い病気に対し、ここまでのっかることはかかることは戦力の不均衡を生み、結局は全体としてうまい戦いができていない印象なのです。
コロナも風邪もすぐに死に至る確率は低いです。感染症で致死が高いのはエボラぐらいでしょう。これはRareに分類されて、エリアも限定され日本中探しても今罹患している人はほぼいません。
死ぬ確率や人数で言えばガンは圧倒的です。日本での年間の死者は37万人です。コロナは1年で数千人でしたから50倍以上の人数であり、ステージが進むと致命率は格段に上がります。肉体的にも精神的にも苦しい死を多くの人が迎えています。心臓疾患、老衰、脳疾患、肺炎はやはり10万人程度かそれ以上で毎年亡くなります。
難病といわれるものは一般にRareで治験の数も少なく、特効薬も治療法もまだ途上で研究成果を提供することで治療法を試す承諾をします。そのかわりに指定難病の基準上限額までの医療負担という良い制度があります。
世界で数百人~千人程度では、研究や薬の採算ベースはなかなかで進みません。
心臓外科や脳外科、ガン研究は医学会でもトップクラスのエリートが行きます。ニーズが多いので、今回のコロナも世界的には物凄い感染者、死者を出し、ワクチンが迅速に巨額を投入して開発され莫大な量が生産、供給されています。
コロナのワクチンや薬の開発はいろいろ問題は噂されますが。難病を持つ子の親としては羨ましい限りです。
一時期、私も別の病気で闘病していた妻とともに本当に世を恨み、拗ね嘆き、自暴自棄になりかけたものでした。
しかし医学の日進月歩を信じ、知識を得てできることややれる可能性のあることを徹底的に調べかなりのチャレンジをしました。
比べることはできないものですし、難病の知識や経験がえらいとかではない話です。コロナでも実際に亡くなられています。しかし正直コロナに関しては未知の拡大要素は残るものの、手洗いうがいをしてマスクを忘れずきっちりつけてアルコールで消毒していれば、呑み会やイベントで騒がない限り罹患しない感染症です。昔からの言葉で言うと万病のもと、やはり質の悪い風邪としか言いようがありません。
本当に比べるのも、並べるのも変ですが、重症化していないコロナとすでにステージ3や4のガンであれば「死」とうい人間最大の怖れへの距離は確実に後者に密接しています。
しかも万一罹患しても重症化する確率は極めて低いコロナに日本中の医療関係の資源が偏って投入され、気軽に診療できない閉塞を生んでしまっています。日本の多くの人々が怖れ経済を止めるのは警戒、警鐘としてはわかるもののどこかが行き過ぎいびつでおかしく映ります。

【医学会のカースト問題】
日本では腎不全で亡くなる方は4万人弱です。それなりで死因の上位10ぐらいには入りますが、ガンや心臓、脳等の分野に比べると専門医は上位職についているケースは少なく、ましてやさらにRareな慢性腎臓病の一つの病気の研究はだいぶ後回しの印象です。
実は日本の医学会をカーストで例えると、心臓や脳外科がトップとして平民クラスの腎臓内科のさらに下に感染症の学会があったそうです。その感染症の中でも、風邪やインフルエンザというのは重きを置かれていませんでしたから研究している人は少なかったのです。
日本の医学会の重鎮は実際にはほとんど感染症に詳しくないし、ましてや経済や社会全体もからんだ感染対策の構築やワクチンへの対応開発にすぐに正解を出せる判断力がなかったようです。このため日本のコロナ対応は大きく歪み結果として遅れてしまったのです。このことは長い間、医学雑誌に目を通し、日本の医学が脳医学や心臓疾患、ガン研究偏重なのを痛切に感じてきたから察するところです。

日本の外来診察のお医者さんはとても忙しいので満足いく時間もとりにくいですが、私のかかりつけ医も、息子の主治医もしっかり対応していただいたことには感謝して、少し安心しています。
緊急事態宣言の中、病院から見え景色、思い出されることです。
(つづく)

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