言霊とコミニュケーションの力 コロナ蔓延下の医療現場に思う3

【日常を守る人に感謝】
昨日までの続きで、一度38℃の熱が出て風邪症状が出たため、念のためのPCR検査で随分と長い時間の余裕を与えられました。
その間、出歩くわけにもいかず、腎臓の難病の愚息もおり悪く入院しており気が気ではないが開き直るしかない時間が過ぎていきました。
本当に症状が出ての孤独な自宅療養に比べれば、気楽なモノと思いきや、やはり結構メンタル的にはシンドイ時間でした。
医療機関の多くの方々が、それぞれの主張や立場こそあれ、かかりつけ医も、総合病院もまた、警備や案内、会計、清掃の人まで本当に真面目にきちんと凛としてルールを守って働いていることには感心しましたし、心になごみと安心をもたらすものでした。
マンションも働く事務所も、近くの公園も、こんな時期でもしっかりとトイレも廊下や排水等、しっかりと掃除されている業者の肩がいます。何気ない光景ですが、当たり前のことですがこれにも感謝の気持ちが沸きます。
こんな人と話す仕事はこの時期イヤだと投げ出そうとしても、愚痴も言わずひたすら汚い場所を掃除する人を見るとやはりそうじゃない思い直さないといけません。

【コロナは恐ろしい風邪?】
言葉には力があり、魂が宿る【言霊】とも言われます。「コロナは恐ろしいVS恐ろしくない」「コロナただの風邪VSいやとんでもない」よくネット上でも論争になりますが、言葉は切り取りで言霊の魔力もさまざまに変容します。言葉が使われるのはケースバイケースです、政治家や立場ある人が公に使う場合と、私的にマンツーマンとで使うのとでは違います。SNSも広まる可能性を考えると難しいですが、その言葉の使われた状況を考えないと「切り取り」の悪意や自己都合解釈になります。
「コロナは風邪の一種」という言葉も切り取られると変な安心感を呼び、感染を広げてしまいます。しかし予防の局面で風邪と同じ感染対策をしていくという基本的知識も必要ですし、あくまで医師等がしっかり状態を見て患者に対して深刻になり過ぎず勇気づける言葉としては大いにありな言霊です。
 コロナはやはり今の社会で恐ろしい感染症ではあり対策は必要です。しかし、それで医療体制に時間がかかり過ぎるのは大きな問題です。やはり、症状は悪化した時、入院もできない、高熱が出て医者の指示を仰いでも電話もつながらないのでは、コロナそのもではなく時間の経過により助かる命が亡くなったりします。
裏を返せば、これらの自宅療養重症化者をすぐ受け入れる体制ができれば「コロナの恐ろしい」という張り子はひとつ化けの皮は剥がれます。シンドイ時、言葉をかけてもらえたり、身体をさすってもらい「大丈夫ですか」といわれるだけで人間は言霊で力を得ます。
WITHコロナ、出口戦略といわれるものも、あくまでコロナはゼロにはできません。その恐ろしさを一つ一つ解明し剥がしていくしかないと思います。

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