敬老の日に思う 日本人のモラル

私は今62歳で、同世代にはまだまだバリバリ現役で経営や企業幹部、第一線で働く方もおられれば、セミリタイアして年金や貯蓄で悠々という方もおられます。
政治家なんて80過ぎでもやってますが、自分の身体や頭脳を冷静に省みると気力や記憶力、判断力をはじめ、あらゆる力が40代ぐらいのイケイケの時期とは衰えています。
60の定年の時は、選択でしたが、まだまだできるけど譲るという感じで、身を引き別の仕事に付きました。しかし実際には60歳手前から、いろいろできないことも増え、覚えないこと成長しない面が増えて、柔軟な人材ではなくなっていたとは思います。
シニア世代が働き、働かせるのは結構難しいものです。
電車やバスでも座席を譲ってもらって、喜ぶか怒るかも世代としては微妙です。
私は今のところ、髪の毛が真っ黒で遠見には若く見えるのか電車で席を譲られたことがありません。譲ったことは多いですし、疲れて座っていると何で譲らないんだ目線で見られたこともあります。
大震災等の災害で、食糧や水の供給等に秩序正しく真面目に列を乱さず並ぶ日本人の姿を「報道され、日本人は真面目でモラルの高い民族といわれています。
しかし、いざ目の前の高齢者や障碍者、妊婦さんなどを見てすぐに席を譲る人は意外なほど少ないです。優先座席以外では譲らなくてもいいと思っている人もいます。
これは欧米や他のアジアに比べても日本のモラルの低い?ところです。
結局はモラルというより、大勢の人の目があり、やっている、並んでいるという同調圧力でしょうか。
もちろん、その同調圧力が悪いわけでもありません。
中には並ぶことすらしないで注意されたり顰蹙を買う輩もいます。若い人でも結構な年配にもいます。
敬老をうける側が近づき、何とかかわいい愛される年寄りになりたいとは思います。まずは、健康維持、体力維持で細かいことは衰えても、自分でしっかり考え、食べて、歩くことができることだけは続けていきたいと思います。

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