子供の頃の外食 お子様ランチとクリームソーダが至福の定番だった

昭和34年生まれ、商店街の商売家で育ちました。子供の頃の商店街は、全国でもかなり早いアーケードを作り、近隣からの集客も多いそれは賑わった店ばかりで、今のようにマンションやシャッターの閉まった店、活気のない高齢者経営の店はなく、高度成長期で日曜日も休みでは無く、みんなが遅くまで遮二無二元気に働いていました。
うちの様に店舗と住居が一緒のケースが多く、内風呂がまだ少なく、店が閉まる8時以降に銭湯に行ってくつろぐ家人が多かったのを思い出します。
今も週休二日制のサラリーマンより商売家は休みは少ないでしょうが、当時は月に一度25日が定休日でした。日曜日に店を閉めて折れば、今のターミナルテナントなみに損で、他にも迷惑をかけ暗黙の顰蹙を買う雰囲気だったのかもしれません。
今は大手や通販にお客を奪われた多くの業種のお店が閉まるか細々と開け、まあ洒落た飲食やファッション、雑貨店、ドラッグストアは入り商店街は維持されていますが、日曜日は個人の店はほぼお休みのようです。
それを想うと昭和40年代みんなよく働いたのです。そして子供の私にとって定休日は親と遊べる月に一度のワクワクするような楽しみな一日でした。
日曜日と重なると遠出ができ、平日でも小学生の帰宅時間はそれほど遅くはありませんので、ちょっとお出かけぐらいはできました。
母がメインで店頭に出る商売なので、普段の労いもあり、何か月に一度かは外食に行きました。当時ファミレス等はなく、デパートの屋上か、近所に1軒あった洋食屋、おでかけと聞くと本当に嬉しかった。
母には悪いけれど、今ほど手軽なレシピも。加工食品も素材も調味料もない時代で、商売やってるので店屋物とお手軽な料理主体でした。
今思うと家でも手のこんだ料理は美味しいし、ファミレス程度の洋食などより美味しいものはいっぱい食べらる時代でになりました。
この頃、ハンバーグとエビフライのお子様ランチ、食後にクリームソーダが定番でした。それが子供には至福であり至高だったのです。
確かに小学生の友達の中にほんの一部、他のビフテキ、焼肉とか鍋とかもっといい店にいっている子もいました。しかし、多くはあの洋食店が最大至高だったか、それすらも行ったことのない庶民の子ばかりでした。
そして、小学校のこの頃、商売も鰻登りに栄えたのでしょうか。ようやく日曜日が月2回ほど定休日になり、私立の中学にまで行けるほどに恵まれました。
老舗の料亭、割烹、レストラン等は存在し成長していたわけで、世の中にはそこを利用していたリッチな人はいたわけです。世間には本当にお金持ちがたくさんいて、美味しいものが沢山があることを知ったのはもう少し大きくなってからです。
あの洋食店も、撤退はしましたが、京都のあちこちにその後継店はあり、もっと進化をしていました。

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