悲しみと怒りにとらわれた時

 コロナ禍で世界中にイヤな気持ち。孤独や、悲しみや怒り、心の貧しさがはびこっています。動画投稿で一時的に儲けても、悲しみや怒りは増殖してしまいます。 
関係ないのかもしれませんが、凶悪で理不尽な殺傷事件も相次いでいます。
 つまらない仕事というのはいつの時も無いはずなのですが。つまらないと思ってしまう自分がいけないのです。世の中、少しつまらなくても我慢してその後いいこともあるはずです。あと人間、そのつまらないことに悩んでしまうことがあります。
 怒りがおさまらなくなることもあります。
 落ち込んでしまって気分が戻らない時もあります。
 若い時だけかと思うと、残念ながら不惑をはるかに通り越して還暦過ぎても、悩みも惑いもつきないものです。残り生きる時間が少ないと、かえって焦ってしまう場合もあります。
 佛教で四苦八苦と言いまして、四苦はまさに「生」「老」「病」「死」年を取った方が病気ぬかかることも増え、死が身近なものと感じられ、生きることが苦しくなるのが老いの苦しみかもしれません。
 また八苦の方の「愛別離苦」は親や配偶者と、時には病気や事故で友人など大好きな人と、別れを経験する可能性は時間とともに増えます。そして「求不得苦」求めるものが得られない、どんなに大金持ちでも得られないものはあります。まして大してお金のない一般の人は、欲しくても簡単に歯てにはいらないものばかりです。そして時間とともに「若さ」や「健康」「情熱・やる気」も自分から離れてなかなか手に入らないところにいきます。
 若い頃は簡単にできたことができなくなることに、悲しくなる時があります。
 欲しいものを我慢することを覚えないと、この八苦の苦しみと、悲しみは消えません。
 「生きてきたものは必ず死にます」そして別れは必ずきます。ロスにととどまっていても四方ありません。弔いも終わったら、次の自分の頑張りしかありません。
 ずうっと家族や友人がいてかしずいてくれるなどが実現不可能な欲求なのです。結局「足るを知る」ということです。
 悲しみや怒りにとらわれたら、いったん離れることです。自分の悲しみは自分でしか所詮解決できないのです。じっくり我慢して攻略するのか、消えていくまで待つのです。怒り狂って相手を打ち負かせても、心の平穏はきません。人間関係がかえってまずくなります。
 相手の立場になれた時、初めて悲しみや怒りが消えます。

 コロナ禍は世界の人々の怒りを増し、悲しみを増殖しました。儲けた人やズルいことをした人もいたかもしれませんし、何とかしようとする人も自分の考えを押し付け喧嘩することに明け暮れました。
 こんな病気の時こそ、「こうしないといけない、デキナイやつはダメだ」などと罵りをやめ優しく助け合う言葉を考えることです。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください