銭湯 ユニットバス 内風呂の時代           #ほくさんバスオール

 昭和の時代、家にラジオやテレビ、エアコン等の家電、クルマが入ってきたのは時期もありますし、まあ貧富の差もあって家庭により違います。
 それでも昭和40年代は多くの都市部の家庭には内風呂がなく、銭湯に行ってフルーツ牛乳を飲んだ話題などは比較的共感します。
 昭和48年ぐらいの同棲を描いたヒット曲「神田川」も銭湯に通う男女が描かれています。
 家の広さにもよりますが、私の住んでいた京都の町屋等は風呂の余地はなかったですね。
 銭湯で近所中の人に出会う時代がありました。その後我が家ではユニットバス、商品名としてはほくさんバスオールというものを買い内風呂の仲間入りを「しました。これは昭和45年前後からニュータウンの団地等でも急速に普及したそうです。大規模は工事要らずで、内風呂感覚が楽しめる。最初は洗い場のない湯舟の蓋の上でシャワーを浴び身体を洗いました。のちに洗い場の独立したやや大型のものが出回りました。
 昭和57年に社会人になった頃はまだ、ワンルームマンションもなくユニットバスタイプの共同住宅も少なかったようです。私も同棲まがいの彼女の文化住宅のような住まいに泊まり、銭湯に行った記憶があります。
 実家はいつの間にか、内風呂を工事して作りました。世の中に内風呂が当たり前になりだすとさすがに町内の銭湯、お風呂屋さんはどんどん廃業していきました。大型のスーパー銭湯みたいなところだけが残っています。
 今はパーソナルな空間が当たり前になり、贅沢として温泉や銭湯で共同の風呂を味わう感じですね。
 昔が良かったわけではないですが、もう製造中止になったユニットバスの時代も何となく懐かしいです。

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