【死生観1】 訃報

 60代ともなると子供の頃、若い頃見聞きし憧れたスター、著名人の訃報に良く接します。そろそろ同年代の死、自らの身体の不調、衰えも感じだします。「老い」と「死」が迫っていることに苦しみを感じながら目の前の「生」を過ごしていく時間です。
 結局は若くとも「死」はいつ来るかわからないものです。
 歴史上の人物など20代で名を残し偉人も多く、50まで生きいれば長生きだった時代が長かったはずです。
 当時の『死生観』生きること、死ぬことと、時間の感覚は、戦後医学も発展し豊かになった今の日本と随分違います。
 切腹や特攻など、昔も死は怖かったけれど、いつ非業で死ぬか分からないので潔く死ねるなら命を美しい形で捧げたような感じがします。
 死への覚悟ができてこそ、生きること、生きている時間を大切にし、残された者への伝承などができるのかもしれません。
 事故や災害で多くの人が亡くなった場合でもそうですが、旅立っていったものの不幸を嘆くのだけでなく、残された自分の運命を知り、何をしていくかもう一度見つめ直すときでしょう。

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