【死生観3】コロナ禍 高齢者を優先の誤解

 新型コロナの感染拡大による規制等は社会に大きな影響を与えました。
 当初の武漢ウィルスは特に日本では高齢者を重症化し、死に至らしめるということでワクチンも医療関係者、高齢者優先でした。
 逆に基礎疾患のない若い世代は感染リスクが低く、行動制限を守らない、ワクチン接種に懐疑的でした。高齢者のために若い世代が制限を受けるのを嫌がる世代間の意識の違い、対立が生まれました。陰謀説の中には元々新型コロナは高齢者中心に人口削減のために人工的に画策されたという説も根強いです。
 尊厳死の時にも語りましたが、日本には高齢者をいたわる気持ちがいたずらな延命、自立と尊厳を奪う過度のやさしさになってしまっている面があります。電車やバスで席を譲られるのは、優しさではあっても、その方の持続する体力や尊厳を奪ってしまうことでもあるのです。
 コロナのワクチンの場合は、高齢者が重篤になりやすいという分かりやすい点がありました。しかし今後別の危険な感染症が流行した際、ワクチンや新薬が限られた数ずつしか供給されない場合、若い人と高齢者とどちらを優先にすべきでしょうか。老人や高齢者に優しくとはいいいながら、重要なエッセンシャルワーカーを除けば若者に医療を優先すべきです。
 経済を止めるか感染対策で規制するか、日本で若い世代にほとんど重症者が出ない時期でも海外の状況を見て、外国のような厳しいロックダウンやワクチンの早期承認と集団接種を煽る意見が多かったです。しかし結果経済は疲弊し、若者は職を失い自殺も増えました。高齢者中心に感染拡大を広めないためとはいえ、結局損をしてこれからもツケを払うのは若い世代です。これからコロナにかかった対策費のほとんどは税金として次の世代が負担していきます。
 ワクチンの副反応で接種後の死者を問題にするワクチン懐疑や反対の向きがおられます。そのことはここでは取り上げません。(若い人が副反応でなくなるのはそれはそれで問題ですが)
 もともと、日本では毎年100万人以上の高齢者が死んでいます。ワクチンを打とうが打とまいが毎日のように老人は死んでいきます。持病の悪化はもちろん、正月に限らず食べ物をのどに詰まらせ、風邪をこじらせ、出歩いて事故にあったり、ある日脳や心臓が急に止まったりで亡くなっています。
 80や90になってコロナで死んだとか、ワクチンが原因で死んだのかというのは些末な問題だと考えるのが本稿です。もうさすがにその世代になるとお迎えが何らかのきっかけで来たのだと納得するのが普通です。
 
 コロナ禍は、世代の対立や死生観の煩悩をあぶり出したと言えます。その課題が明らかになったことはそれはそれで良かったとも思います。
 若い世代、老いた世代とも今後どういう生き方をしていけば良いのかを、図らずも震災や疫病は示してくれているのかもしれません。
 (もう一回、つづく)

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