愛別離苦 過度な愛情のままだと死別はつらい

 いいお父さん、良きお母さんの子供に限ってマザコン、ファザコン的性格になってしまいがちです。
特に下の子や末っ子を甘やかし、結局最後の介護は長男長女というパターンの話もよく聞きます。
 私も勝手きままの次男です。母親が比較的若い頃50代前半の時、当時かなり実家と離れたところに天気しており、一度手術をした時はかなり驚き、不安に思いました。
 母の晩年はむしろ近くにはいましたし、しょっちゅう実家やその後入居した施設にもいきました。しかしもう何か気力も衰え、認知が始まったほぼ寝たきりとなると、最期はあっけなく感じました。
 感謝はもちろんあるのですが、悲しいというよりも、ねぎらいと虚脱でした。
 夫婦でもそうかもしれません。恋愛の延長くらいの新婚で死別したなら悲しいですが、空気のような存在になり、めんどくさい双方介護ならお荷物が一つ無くなるだけなのかもしれません。
 あまり愛情をふりまいた記憶のまま死んでしまうと〇〇ロスのように、悲しみだけが残ります。これも結局こまったものです。ロスが長引くくらいなら愛情などない方がマシなのでしょうか。
 逆に認知症等の介護が長引くと「もう限界」と思うぐらいの時もあるでしょう。
 正解等ない問題ですが、愛情をふりまくことが愛だと限らないことだとは思えます。」あまりにもロスになりやすそうなベタベタした愛情に慣れた人には覚えといて欲しいです。

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