オリンピックとナショナリズム

 北京での冬季オリンピックが終わりました。
 コロナ禍ですが、やはり日本人選手の活躍を中心にニュースのトップを飾りました。北京での開催ということで、ウイグルでの人権問題で「政治的ボイコット」に始まり、ドーピング問題や不可解な失格判定も問題となり、政治色や国威掲揚の問題とは切り離せないものとは痛感します。
 冬季の場合メダルを獲得する国も、参加国も夏季には及ばないスケールで先進国お金持ちの国中心の大会です。
 それでもテレビを見れば普段愛国心のかけらもない人でも、なんとなく自国民やそのチームを応援したくなり、自国のメダルの数が気になるようになっています。
 日本のアスリートたちが、4年に一度の晴れ舞台のため物凄い努力を積み重ねたことには敬意を払い労いを禁じえないです。
 しかし、オリンピック精神以上に商業主義が拡大し、メダル至上主義、放映権は暴騰し、種目数も増えており、日本のメダルが過去最高と言われても少し違和感はあります。
 もちろん本当の戦争が一触即発とも言われる情勢で、スポーツが世界平和の鎹(かすがい)になればそれは素晴らしいことです。
 閉会式やフィギアのエキジビションのほっとするような選手の表情がいいです。

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