いざ鎌倉に備え技量を磨き待ち続けるか

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 鎌倉殿のドラマの年というわけではないのですが、一方の勢力が栄えると冷や飯を食うグループは雌伏し、機を待たねばなりません。
 コロナ禍、ウクライナ危機の現代も業績の良いグループもあれば、就職難や失業、倒産、リストラと厳しい世相です。
 時代や社会の流れを読み勝ち馬の乗るという考えもあるのですが、侍、武士と同じように自分の技量を磨き、学び続け備えないといけないのです。
 それが報われないかもしれない、無駄に終わるかもしれないと思うかもしれませんが、そこで鍛錬したことは結果ではなく過程として大切なことです。
 勝ち馬に乗った人が運よく出世したり、儲けたりすることだけに着目してはいけません。侍、武士も道はやはりその志と大義とそれに対する忠義こそが大切で、評価されるところです。
 戦争を経験している人が減ると、今回のウクライナ問題でも、誰もが対岸で勝ち馬に乗りたい傍観者、評論家になってしまいます。
 平和が悪いのではないですが、志こそが大切です。
 個人に置き換えても、自分の仕事をするために志を高く切磋琢磨して追いかけないと文句ばかり愚痴ばかりになってしまいます。
 勝ち馬にのるのは技量のないものが幸運を追いかけるだけの危険な賭けです。平和ボケで、自分の技量以上にあぶく銭を得たい人は、「驕る平家」の滅亡から学んでいないのです。
 いつ呼ばれても呼ばれなくても、戦いの準備をするリリーフや代打、リザーブメンバーがいて初めてチームは成り立ちます。目の前の仕事だけでなく技量を磨きいつ大事な仕事を任されてもいいような力をつけることが大切です。

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