父の日に思う

 父の日と母の日が分かれているのも、今の時代男女の公平な役割うんぬんでそろそろいちゃもんがつくかもしれません。5月に母の日、6月に父の日が、今や商売としてのプレゼントデーで喚起されるような感じです。
 私の世代だと、父母は昭和一けた戦中戦後を経験して、親の役割も今とは少し違うかもしれません。その子供の私もステレオタイプの父親だったのかどうか、適度に好かれ嫌われて、令和のオヤジになっています。
 子育てに関して、私は父としてどうこうというこだわりはありません。
 何となく背中を見て、時に反発し反面教師の時もあってもいいですから、何かを学び人生のどこかの面で活かせばと思います。
 名家、名門で自分の跡を継がせないといけない家には生まれていないので、そこの苦労はわかりません。気楽な次男坊でしたからね。
 家を継ぐのは大変と思うし、決断まではイヤかもしれませんが、決まってしまえば楽かもしれません。親の仕事を見ていると本能的にそれがやりたくなり好きになる場合もあります。レールはあり方向性は見えているのですから。
 いずれにせよ、父として子供の人生の全てを支え見守ることはできません。
 よく女性にファザコンという感じの人がいます。お父さんが好きで、パートナーにお父さんのような優しさや甘え求める感じの人が、裕福な家庭に意外に多いようです。
 これに関しては、私は何人も知っていますが、まあマザコンも同じように悪いのですが、、ファザコンも質が悪く苦労し、周りを苦労させることが多いです。
 せっかくの父の愛情、お金や時間を、甘やかしに使ってはいけないとは、よく思うのです。

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