入院雑感5 健康寿命という誤解 コロナ禍での現場の苦労

 3週間の入院をして、ようやく退院、自宅療養ということでさまざまなメッセージもいただきました。個人的にはSNS上でも激励、見舞いなどのメッセージに対し、心から感謝の意を表したいです。

 ただ残念ながら全快ではなく、肺の回復を長らく待たねばならない状態です。やや不自由な、片肺とまではいかないが4分の3肺歩行のような感じです。病気の説明は長くなるのと、短く書いても誤解を与えやすいものなのでこの程度とします。

 ここでは入院患者や看護師さんから得た、少しでも有益な情報や感じて悟ったことを書きます。私自身は人生初の入院で、もちろん入院の経験の多い方、もっと深刻な病や障害は抱える方もおられると思いますが。コロナ禍で3週間以上入院という方は最近の病院事情含め知らない方も多数なようです。

 まず、健康寿命とよく、平均寿命や90歳まで介護や病院の世話にならず、無病息災、いわゆる「ピンピンコロリ」が理想だという話があります。せめて一病息災、ひとつくらい持病があっても、逆に身体をいたわりその他の病や障害を防いで健康寿命を延ばそうという考えとかもよく言われます。そのために足腰を鍛え、食事に気を使い健康食品やサプリに、ジムやヨガに通うとかされている方は多く、同年配の方のメッセージにも「健康寿命に気を使って」という言葉はよく出てきます。その行動とその方向自体は間違っていませんが、そこに心理的な罠があります。

 確かにごくまれに90歳でもそこそこ健康でぽっくりという人はどこかにはおられます。家族や健康保険にも介護保険にも迷惑をかけないのは理想的です。60歳ぐらいの周りを見渡すとそう思えるそうですが、理想は理想で目指すのは別として、10年20年経てばそんなものは全く叶わぬ夢、程遠いのが現実だと思い知る時がくるのだということです。

 これは私が76歳の人の話、87歳の人の話、ご本人とその周りの人達の話、医療や介護に関わる人を含めてよく聴いて確信した結論です。もちろん、そちらから見聴きすると病気の方が多く見えるということも統計的にかんがみています。76歳で同年代を見渡すと、自分の身体も同年代のほとんどの友人も、どんどんあちこち病を患い治し、切除し障害や不自由は増えていく。80代も過ぎる個人差はあれど鬼籍にはいるか不自由だらけが当たり前の現実となっていきます。それが一般的な長生きです。人生とは動けない最初は赤ん坊がどんどんできること、自由を増やして行く足し算の時代があり、老いていくとできることを失い自由を失っていく引き算の時代となってゼロを迎えるといことです。何も不自由に陥るのが仕方ないから不摂生でいいということではなく、避けられない老い、理不尽ながんなどは当たり前に突然来るという覚悟、心構えは必要ということです。

 健康長寿というのは土台無理な話なのです。

 全く汚い話で申し訳ないですが、退院直前で同室に運び込まれた方は、なんというのかとにかく悪臭で悩まされました。真夜中に脱糞したとナースコールで騒ぎ、たぶん身体や衣類に汚物が残ってトイレを使うのでトイレも汚れる。完全に下の世話が必要かはボーダーラインで、おむつ常用にはならないので、看護師さんや部屋の周りトイレは大変です。ケチらず個室に行こうかと悩みましたが、コロナ禍で家族も簡単な介護や面会にも入れず、一番大変なのは看護師さんです。面会禁止はきれいごとで、看護師の仕事の負担はそれだけで激増しているのですが、介護される側は小気味いいほどそれこそ「屁の河童」何も考えていないのです。
 人間の尊厳を失ったような、一部、反面教師ととらえる考えもあるのですが、介護を経験した人からしたらよくあることだと分かります。そうなったから人生の全てが否定されるものではありません。逆に人間って「しぶといなあ」とか「したたかだなあ」と変な意味で感心しました。

 身体が動き、お金もあればできる限り先を考えずやりたいことをやるのも一つの考えでしょう。

 ただ不自由ができ、うまくいかなくなるとすぐに人生をあきらめるのは、やはり良いとは言えない考えでしょう。何があったか知りませんが、60歳前後で命を絶った人を潔いとは思えません。仕事や家庭、健康が思い通りでなくなっても、生きるを選ぶことは苦しくとも、やはり尊いことで、大切なことです。したたかにしぶとく生きようじゃないかと提案します。

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