77年前の敗戦を繰りかえさない、というのは右でも左でも共通だと思います。
敗戦を繰りかえさないためには、戦争をしないのか、戦争をしても負けないかです。
まあ、こんなことは議論してもしょうがないことです。
戦争であれ、経済だとか、教育とかすべて政(まつりごと)が間違った方向に扇動されないことです。
アメリカとの戦争も、いろいろな歴史書で語られますが。戦争を始めたことと、途中で講和などの機会がなかったか、よく言われるロジスティックや戦術の柔軟性で悲惨な特攻や玉砕以外に粘る方法はなかったのかという問題はあります。
アメリカはでかく軍事力も絶大と思われますが、その後の局地的な戦争では勝ててはいません。しかし戦争をするということは勝つ国と負ける国があるのと痛み分けも含めて、兵士や市民に多かれ少なかれ犠牲が出るということです。常に勝つ国であればとか勝っていればと思うのも人情ですが、相手も勝ちたいと思っているのです。
もちろん、政府やリーダーは自分の選んだ政策、道が正しいと、国民をリードし世論を煽ります。ナショナリズムはおよそどこの国民ももっているはずです。それをうまく擽れば大きなモーブが生まれます。問題はそれが間違った方向だったり、効率の悪いやり方だったとき、勢いがあるすぎて、誰も修正や停止ができないことです。
私が大卒で入った鐘紡というかつて日本最大の民間企業だった会社は粉飾で事実上倒産し、別の企業の傘下に入りました。私は化粧品の担当でしたが、元は繊維の会社でしたし、薬品、食品、日用品、ファッション、電子部品や、住宅関連などさまざまな部門がありますが、ものの見事に粉飾漬けでした。そこそこ一流の大学を出てた全員、そしてそれを指導する幹部教育を受けた人間が、追い込まれたら何だってしてしまいます。「こんなこと無駄な上、不正であり犯罪の方棒を部下に担がせる」そんなことすら罪悪とも感じず、全員が間違った方向に走る異様さを経験しました。
人間とは弱い、周りがみんな走っていたらなかなか異を唱えられない生き物です。日本人はとくに従順なところがあり、それがいい面もあり悪い面もあります。
戦後77年、語れる人は減り、方向を間違わないことが望まれます。