1969年夏の甲子園 延長18回東北青森三沢の無念

 今年の夏の甲子園、全国高等学校野球大会で東北勢として初めて仙台育英高校が優勝し、深紅の大優勝旗を白河の関を越えて持ち帰りました。

 仙台に住んでいたこともあり、知人も多く東北の人がいかにこの優勝を待ちわびたかを知っています。
 悲願に関しては、東北人にとってもう何とも言えない感慨でしょう。

 ただ個人的には最近の高校野球はどうも好きではありません。私にとっては高校野球が子供の頃から、最大の娯楽だった時代がありましたが、いまは多くのエンタメにあふれスポーツだけでも一流のコンテンツが多い時代に入り、何となく底というのか、裏が見えてあまり楽しめないのです。

 1969年今から50年ほど前の、夏の甲子園決勝、松山商対三沢高校は小学生だった私に衝撃的な名勝負でした。
 当時は延長18回制で球数制限なし、3回戦以降連投は当たり前、準々決勝準決勝も三沢は当時の超高校級人気投手、エースの太田浩司が一人で投げ切っていました。

 この試合実は延長15回、16回と三沢は1死満塁のチャンスを迎え、実際にサヨナラ勝ちしていたのではと言われています。審判が同校OBだとか、決勝戦の結末にふさわしくない幕切れなので大変微妙な判定でした。えこひいきよりも、延長18回まで両軍が死力を尽くすのが決勝戦らしいという風潮のような空気が支配していたのかとも思われます。そんな空気がなければ東北勢はとうに50年前に大優勝旗を白河越えて持ち帰っていました。

 今の時代は、多くのチームが複数投手や分業が当たり前で、決勝戦までに休養日も2日はさみ準々決勝も2日に分けたりして投手の負担はだいぶ軽減されています。それでも潤沢な選手層を誇る名門と、少数精鋭のチームは存在します。
 負けると後がない一戦必勝のトーナメントで優勝を決めるため、どこまで行っても実力ナンバー1が優勝するとは限らないのです。サッカーやバスケのようにベストメンバーを出し続けるわけにはいかない野球で本来トーナメントは合いません。ドラマ性やギャンブル性はあって面白くとも、長く練習してきた選手たちが1試合の敗戦で終わるのはやはり理不尽な悲劇であり、やっている人が本当に幅広く楽しみ野球という競技が好きになり、競技力が向上するとは思えないのです。

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