JALの改革と言えば先日亡くなった稲盛和夫元京セラ会長、創業者が想起されます。
しかし日航機墜落事件を受け、昭和61年当時の中曽根政権の依頼を受けて、事故の原因究明からその構造を改革する役割を任されて、白羽の矢が立ったのは鐘紡会長の伊藤淳二でした。
日航の経営破綻で稲盛さんが社長になる25年前です。鐘紡の労使調整や経営再建の実績を評価された伊藤淳二氏も、野心家の辣腕経営者で城山三郎の『役員室午後三時』のモデルとなった、戦後の若き改革型経営者の代表とみられていました。
しかし、日航の労使問題は複雑怪奇で、さまざまな魑魅魍魎、百鬼夜行のような妨害にあい1年足らずで挫折、更迭されるハメになりました。山崎豊子の『沈まぬ太陽』にも、その経緯や伊藤のモデルのような人物はやや美化され描かれています。
その後の鐘紡の迷走、破綻から、伊藤の評価は下がり、今やイトウジュンジで検索してもホラー漫画家が出てくるぐらいです。実は稲盛さんの10歳年上で、100歳でご存命なのですが、野心家で自社株も多く抑え、若い頃はCMモデルなどとも浮名があったギラギラした点は稲盛さんとは大違いでした。
経営の評価は下っていますが、日航の課題を上げた点は大筋でその後の稲盛さんの方針と大きくは変わりません。経営者の明暗は時代なのか、どこかにあったのでしょう。
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